夢を見た。

 凛華はどこまでも続く暗い廊下の真ん中でずっと泣いていた。
 ひっく、ひっくと自分のしゃくりあげる声が廊下に反響して耳に返ってくる。自分の泣き声なのに、何故だか別の人間がこの場にいて一緒になって泣いているように聞こえて、それがまた恐ろしかった。
 わけの分からないまま、ひたすら服の袖口で涙を拭い、歩き続けた。
 何年前の彼女のものだったのか。小さな足がぺたぺたと足音を立てた。
 裸足だった。
 小さな足は既に冷え切っている。ぺたぺた。ひっくひっく。それ以外に音はない。
 肩下まで伸ばした髪が涙に濡れて頬に張り付き、小さな凛華はそれを不快そうに擦って離した。
『ここ、どこぉ……?』
 高い涙混じりの声が反響して二重三重に聞こえる。その声も十六歳の凛華より高く、あどけない。
『怖い……』
 ぽつりと呟き、一度足を止めた少女はまた歩き始めた。止まってはいけない。ここで止まったらもう二度と外へは出られない。理由もなくそんな気がした。
 ここがどこか分からない。どうして暗いのかも分からない。
 分からないことだらけで恐怖が凛華を襲った。
 誰か来て。
 誰か助けて。
『お父さん……お祖父ちゃぁん……』
 すん、と鼻を吸って、凛華はきょろきょろと辺りを見回した。けれどどちらを向いても暗いばかりで、一体自分がどこへ向かっているのかも分からない。転けないように、必死に手探りで前か後ろかも分からない道を進みながら、凛華は涙を流し続けた。
 何だここは。どうしてこんなところに自分はいるのだ。
 どうして誰も助けに来てくれないのだろう。
 父親も、祖父も。困った時は助けてやると言ってくれたのに。

 ひた、と足音がした。

 続いて手に温かな感触が触れる。
 誰か自分以外の人間の手だった。
 柔らかに包み込まれ、そっと引かれる。暗い中で自分の手元を凛華がよく見てみると、自分の小さな手に白い手が重ねられていた。父親のものでも祖父のものでもない。父親のものはもっと骨張っていたし、祖父のものは皺がたくさんあった。
『だれぇ……?』
 小さな凛華は語尾のばしの拙い言葉で尋ねた。たくさん泣いたせいで呂律が上手く回らない。
 温かい手。
 この手を──知っている。
 自分のその考えに目を丸くした凛華は、もう一度隣に立つ人物を見上げた。手から先へと続くはずの体は見えない。暗闇に紛れていって、顔もはっきりとは見えなかった。
『だれ?』
 もう一度尋ねる。けれどやはり答えはなかった。手を引いてくれている誰かは、小さな凛華の歩調に合わせるようにゆっくりとした足取りで進み、決して凛華を無理に引っ張ろうとはしなかった。優しさに包まれている。
 だんだんと周りが明るくなってくる。
 少し先に見えた小さな光に気付き、凛華はぱっと表情を明るくさせた。
 あそこは明るい。きっと温かい。あそこに行けば誰かがいる。
 思わず重ねられていた手を離して駆け出す。ぱたぱたと聞こえた足音は、暗闇の中で聞いたものよりもずっとはっきりと耳に聞こえて、怖くはなかった。
 完全に周りが明るい場所までたどり着き、凛華はくるりと振り返った。そして暗闇へ向かって声をかける。
『こっち、明るいよ』
 切らした息で嬉しそうに言ったけれど、返ってきた言葉は。

『ごめんね……』

 柔らかい謝罪の言葉だった。

『どうしてこっちにこないの? こっち、明るいよ?』
 返事は、ない。
 不思議に思った凛華は、先ほどは怖くて仕方がなかった暗闇へと少しだけ足を踏み入れた。すぐそこには手を引いてくれた人がいる筈だ。
『……いないの?』
 確かに声がした方まで来た。これ以上奥には誰もいないし、何の足音も聞こえてこない。
 誰もいなかった。小さな自分一人だ。
 その場で立ちつくした凛華は暗闇の方を、同じ色の瞳でじっと見つめ、そして口を開いた。

『……おかあさん……?』

 そこで一気に周りに光が溢れた。夢の終わりだ。





「──カ、リンカ?」
「……え?」
 ふと、呼びかけられた方に凛華が視線をやると、心配そうな表情をしたベルがすぐ傍に立っていた。
「なに? ベル」
「どうかなさいましたか? ぼんやりとしていらっしゃいますが……」
「え、してた?」
 頬に手を当てて、自分では全くそのつもりのなかった凛華は、逆にベルに尋ねた。
 ベルはやはり心配そうにしていたが、突然持っていたシーツやらドレスやらを凛華の寝台脇に置いて、首を傾げたまま考え込んでいる彼女に詰め寄った。
「何でもお話し下さいね! お力にはなれないかもしれませんけど、お話をお聞ききするくらいならいくらでもできますわ!! ですから思い詰めたりなさらないで下さいませっ」
 力説である。
 ベル・カナルツというこの侍女は、以前から主のためなら何でもやってのけると豪語さえしそうなほどに、凛華に対して献身的だった。このときも例には漏れず、何やら悩みを抱えていそうな主を励まそうと必死だった。
「え……あ、う……うん……」
 ベルの気迫に驚いたのか凛華はわずかに身を引く。
 だがそんなことで引き下がるようなベルではなかった。
「お一人で何でもため込んでしまうのはいけませんわよ? わたしがお役に立てないなら、陛下がいらっしゃいますから!!」
 かっと。
 見た目にもはっきりと分かるくらい頬を赤くして、凛華はかなりうろたえた。
 どうやら先日の出来事を思い出したらしい。「なな、な、何でもないから大丈夫だよ」と、明らかに何かありますといった風に手を振った。彼女は哀れなくらいに嘘が下手なのである。
 言えない。
 言いたいことはあるのだけれど、セシアのところには行けない。先日のことがあった手前、恥ずかし過ぎる。
「リンカ? どうかなさいましたか?」
 すぐに赤くなる性質の親友を見て熱でもあるのかと的はずれなことを心配した後で、ベルは凛華の顔の赤さの意味に今更ながらに気付いた。
 彼女が赤くなったということは、彼に関係のあることで。
「リンカ……陛下と何かありました?」
(うわあ、直球だ!)
 あまりにも当然のように尋ねられて、凛華は視線を泳がせた。
 「何か」ならあった。しかし親友に相談できそうなことではない。
「う、うん……ちょっと……」
 自分と同い年の筈なのに、ここまで照れ屋な凛華を可愛らしいと思い、ベルは小さく笑った。
 同性の自分でさえこうなのだから、この国の国王は既に彼女を溺愛していると言っても良いだろう。
「陛下に仰ってみてはどうですか? きっと陛下は喜ばれますわ」
「え……。でも……セシア、忙しいみたいだし……」
 ここ数日の間、姿さえ見ていない。
 凛華は大広間でもセシアと見ることはなかったし、あれ以来夜に彼の部屋へ行くことはなかった。つまりそれほど彼と会っていないということだ。
「大丈夫ですわ! 愛しい恋人のご訪問なんですから。陛下だって殿方なんですよ」
「わっ! 分かってるっ!!」
「いいですか? 殿方というのは愛しい恋人のためなら……」
「分かった分かった!! 分かったからそれ以上言わないでっ!」
 このあたりで妥協しないといつまでもベルの「陛下論」が続きそうなので、凛華は慌ててそう答えてから、ベルの片づけを手伝うために寝台から立ち上がった。
 殿方というのは愛しい恋人のためなら。
 そこまではしっかり聞いてしまったのだけれど。
 その続きは一体何なのだろう。聞くのは少し怖い気がした。
 今でさえセシアの傍で跳ね上がる鼓動を抑えるように精一杯なのだ。これ以上どきどきさせられるのは心臓に悪い。

 何となく恥ずかしかった。
 けれど、夢のことをセシアに話した方がいいのだろうか?
 あれは少なくとも過去にあった出来事ではない。
 凛華はあんな暗い廊下を一人で歩いたことはないし、第一あれくらいの年頃だった自分にはまだ父親と祖父がいたはずだ。
 あの、手は。
 自分の直感が物語る。あの手は母親の手だ。手を繋いだ記憶はない。幼い頃に亡くなった母親と手を繋いだ記憶は凛華には残っていないのだ。
 それなのに何故か、あれは母親の手だと断言している自分がいた。
 あの夢は、一体何だったのだろう。



「リーンーカ!」

 ひょこりと扉から顔を出した髪の短い侍女にベルと凛華は笑って、髪の短い侍女ことリーサーは、凛華に向かって手をひらひらとさせた。こっちに来て欲しいということだろうか。
「リーサーさん?」
「伝言預かってきたんだけど」
「はい?」
「それがさー。あんまり良い伝言じゃないんだよね……」
 眉をひそめて、うーんとリーサーが唸る。
 首を傾げて黒髪を揺らしながら、凛華は「誰からですか?」と尋ねた。
 良い伝言じゃないとはどういうことだろう。
「アイルさん」
「アイルさんが?」
 何か自分に用でもあるのだろうか。
 あの国王の副官から何かを言われた経験は、ほとんどない。
 たまに出会えば挨拶を交わす程度でこうやって何か伝言を伝えられるのは初めてだった。
「えーと、出来れば早めに会議室に来て欲しいってさ」
「会議室?」
 そんなところがこの王城にあったことさえ知らなかった。
 凛華は自分の生活している塔一帯ならよく知っているし、セシアの執務室のあるあたりも大抵は知っている。けれど会議室という場所は凛華には縁がなかった上に存在すら知らなかった。王宮内のたいていの場所はベルに案内してもらったが、そう言えばその中に会議室というものは含まれていなかったような気がする。
「そう、会議室。陛下の執務室の一階下にある広いところ。あれ、一応会議室なんだけど……」
 少なくとも普段はまともな会議には使われてないわ、とリーサーは笑った。
 それを聞いたベルが更に続ける。
「そう言えばあそこ、会議室でしたわね」
 とてもあっさりとした言いぐさだった。

「……どんな、所なの?」

 あまりにもリーサーとベルが、政治上重要そうな「会議室」をめちゃくちゃに言っているので、何となく興味が湧いて凛華は尋ねた。
「大臣たちの宴会場よ」
「……え?」
「お茶飲み場とでもいいましょうか。我が国の大臣さま方はそれは有能な方ばかりなのですが……何と言いますか、とてものんびりしていらっしゃるのですわ」
 会議室を茶飲み場にしていることは、のんびりですまされるレベルなのだろうか。
「普通の会議なら、あんな広い部屋は使わないわ。せいぜいその横の部屋ね」
「ですから、会議室へ来て欲しいというのは……不思議ですわね」
「へ、へぇ……」
 宴会場って。お茶飲み場って。
 そんな所に行かなければならない凛華は、少し不安になった。
 けれど伝言は伝言だ。しかも早めに行かなければならないらしい。
「と、とりあえず行ってきます……」
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい」
 ベルとリーサーに見送られて部屋を駆け出した凛華の後ろ姿を眺めながら、ベルは扉を静かに閉めた。

「……ベル」
「何でしょう」
 寝台にシーツをかぶせて整え、凛華に着せようと思っていたドレスを皺にならないようきちんと直しながら答えたベルに、リーサーが口を開いた。
「リンカ、何だか元気ないみたいだわ」
「……はい」
「会議室への呼び出しっていうのも……ただのお茶の誘いじゃないみたいだし」
 伝言を受け取った時のアイルの表情を思い出して、リーサーは深々とため息をついた。
 アイルは、リーサーにとって親友の夫である。だからそれなりに付き合いもあるのだが、その彼があんな風に疲れたような顔をするのを、リーサーは初めて見た。
 それでなくとも戦争が始まるかもしれないということで張りつめている城内である。
 そこへ、国王の副官からの直々の呼び出しとあっては、ただごとではない。
「ねえ、ベル」
「はい?」
「ベルは……もし、明日、死んでしまうとしたらどうする?」
「どうしましょう」
 あっけらかんとベルは答えた。
 が、その瞳に映ったのは不安そうな色で、それを隠すことはできなかった。

 戦争が、じきに始まる。

 最も堅固で安全だと言われているこの王城も、絶対なのだという保証はどこにもない。
 元々人間である以上は、いずれ生を終えるものなのだが、戦争で死ぬのは好ましいとは思えなかった。
「ほんと、どうしましょうか……」
「リンカが元気ないのも、ちょっとは今の状況のせいよね」
「ですわね」
 侍女として主を元気にしてあげられないのは、力量不足だからだろうか?
 少し落ち込んだ声色の会話。
 それに終止符を打ったのは、珍しくベルの方だった。
「ですが、リンカには陛下がいらっしゃいますわ」
「まあ……そうだけど。でもちょっと悔しいかな。わたしたちじゃ元気にしてあげられないなんて、ちょっと、陛下に嫉妬しちゃうなー……」
 くすくすと笑いながら言って、リーサーは凛華の部屋の窓を開けた。
 冷たく乾燥した風が吹き込む。けれど開けなければ空気がこもってしまう。
 思わず自分の髪を手で押さえながらベルもくすりと笑った。
「嫉妬、しますわね」
 異性に嫉妬するのもどうなのかと思うが、何となく嫉妬してしまうのだ。
 主である凛華は、同性でありながら庇護欲を掻き立てられるところがある。
 危なっかしい妹を見ている気分が一番近いだろうか。自分が何とかしてあげなくてはならない、と思う。勿論ベルもリーサーも、一介の宮廷女官であるから武術に長けているわけではない。物理的に比べると主の凛華の方が強いわけだが、精神的な面で、守ってやりたいと思うのだ。
「まあでも、陛下ですし」
「陛下だし」
 顔を合わせて笑ってから、二人の侍女は口をそろえて言った。
「「許してあげますか」」
 こうしてアルフィーユ国王セシア・レリアス・アルフィーユは、彼の恋人の、ある種保護者的な立場の二人の侍女から見事「お許し」を得たのである。



 駆け足で会議室らしき所に駆け込んで、凛華は急ブレーキをかけて停止した。
 視線を配り、ベルとリーサーが言っていたような所ではない事を一瞬で理解する。
 そこには結構な人数がいて、きちんと会議室らしくなっていた。
「ああ、リンカ、わざわざごめん」
 そう言って凛華を手招いたのはアルフィーユの最大権力者であり、凛華の恋人にあたるセシアだ。
「え、ううん。別に今日は用事がなかっ──ありませんでしたから……」
 慌てて丁寧語を使いながら少し遠慮がちにセシアの傍まで行き、丁度セシアの隣に空席があったのでそこに座るのだと理解して座った。
 自分に集まる視線に居心地の悪さを感じながら、隣のセシアを見る。けれどそこには「国王」の顔をしたセシアがいて、凛華はとても話しかけられなかった。
 何が始まるのだろう、ここで。
「では、始めます」
 アイルがよく通る低い声でそう言い、これが何の会議かよくは分からぬまま、凛華は他の人の発言を聞いていた。

 要するに、ジェナムスティとの戦争が再び始まるとのことで、それについてどう対処するかというのが論点だった。
 ロシオルの横の、位置からしておそらく第一騎士隊長であるらしい老年の男性が静かに話す。
「……ジェナムスティの兵士はおよそ五万、我が国の現在の兵士および騎士は五万五千に近く、この兵力が争えば……無血は、まずあり得ません」
 戦争とはそういうものだ。兵力が互いに大きくなればなるほど無血ではすまされない。そして巻き込まれる一般人の数もそれに比例するかのように増加する。
 ジェナムスティがアルフィーユの兵力をおそれて早々に攻撃をやめてくれるならともかく、これだけ互角と言える兵力ならば、実力行使に出るしかないのだ。
 即ち総力戦である。
 第一騎士隊長の意見を聞いていたセシアはアイルと同種の、よく通る声で言った。
「最小限に被害を抑えたい」
 言い終えてから小さくため息をつく。
 流す血は少ないほど価値がある。
 これまでの戦争で何万という人間が死傷した。これ以上は犠牲者を増やしたくない。
「アルフィーユ、ジェナムスティ、互いに無血というわけにはいかないことは分かっている。だが、わたしはもう無駄な血を流したくない」
「陛下、そんなことを言っておられるようでは……」
「分かっている」
 第一騎士隊長の言葉を遮って、セシアはその青い瞳を各騎士隊の隊長に向けた。
「分かっているが、ここで終わらせたいと願うならどちらにも禍根を残して欲しくない」
 人が人を殺せば殺された人の家族や周りの人は、殺した人を憎む。その憎しみが結局は戦争を生むのだから憎しみを残して欲しくない。
 それがセシアの考えだ。
 戦争とは憎しみの悪循環。どこかで誰かがそれを終わらせなければ、抑えきれなくなった憎しみは最後には破滅をもたらすのだろう。

「陛下」
「……何だ?」
 今度は第一騎士隊長ではなく、文官の方だった。
「もし仮にジェナムスティが白旗を掲げたとして、その後はどうなさるおつもりですか」
「無駄な干渉はしない。再建に手を貸すだけで良い。わたしはアルフィーユが乗り出して統治をする必要はないと思う。無理にこちらの意志を押し通そうとすれば、それは庇護でも何でもない、ただの圧政だ」
 きっぱりと言い切って、セシアは文官に続きを言わせなかった。
 この戦争が不満なのはジェナムスティの騎士だけではなくアルフィーユ自体もそうなのだ。損得で戦争をするわけではない。けれどセシアの言う通り、なるべく人を殺さずに土地も奪わないとなれば、結果的にこちらの無益に終わる。それでは兵士たちは納得しないであろう。
 だが。
 パン、と。乾いた音が響いて、続いてまばらな拍手が起こった。
「賛成です」
 老齢の、いつもは仕事をせずチェス遊びにふけっている大臣が皺を深く刻んで笑い、満足げに頷いた。
「確かに、陛下のお考えを通すとすればアルフィーユは無益になる。だが、それしきのことで打撃を受けるような国では、なかろう? 土地ならほれ、あそこのリュート平野だけもらえば良かろう。今までどちらの国にも属していなかったのだ。あのあたりには住居もない。欲しいと申し出たところで、断りはせんだろうよ」
 自信満々に言ってのけてから、大臣は答えを促すように自分の周りにいる他の大臣たちを見た。
「そうですな。リュート平野はあれで広大な土地です」
「恩賞には充分でしょう。近衛の方々はご不満かもしれませんが、辺境の騎士団は既に乗り気です」
「いい加減、憎しみ合いもこれで終わりにしなければ」
「そうです」
 そうして次々に賛成の声が上がり、その後は兵の配置や後援部隊の配分など、凛華にはよく分からない具体的な策を練る作業が続き、燭台の灯りが小さくなる頃にようやく話がまとめられた。
「以上だ。これで終わりにしよう」
 会議を終わらせるのか戦争を終わらせるのか、よく分からない言い方をしてセシアは席を立つ。
 今までまともな顔をしていた大臣たちも、途端に気の抜けたやる気のかけらもない顔をして、談笑しながら会議室を出て行った。


 もう一度椅子に腰掛け、セシアはため息をついてから隣に座る凛華を見た。
「リンカ?」
「え、何?」
 慌てて顔を上げた少女の顔には、寂しそうな色。
 小さく笑って、セシアは凛華を抱き寄せた。
「セシア! ア、ア、アイルさんが……っ!」
 大臣や近衛の騎士隊長、各地の領主たちはもう既にいなかったのだが、まだ会議室にはアイルがいる。
 わたわたと慌てる凛華の耳に、涼やかなアイルの声が聞こえた。
「退散しますよ」
「ああ」
(「ああ」って……そんな、あっさり〜!!)
 言葉通りアイルはさっさと退散してしまい、凛華は拍子抜けしていいやら、安心していいやら、微妙な気分を味わった。
 けれど間近に感じた体温の誘惑に勝つことができず、そのまま腕の中に収まってしまう。優しく背中を撫でられると、もう逃げるようと考えていたことを忘れて、安心してしまうのだ。
「いきなり呼び出してごめん。『預言された少女』も会議に呼ぶべきだって、文官たちがうるさくて」
「ううん」
 それは別に良かったのだ。
 確かに会議を聞いていてその深刻さには驚いたけれど、ベルとドレスを眺めて遊んでいただけで、取り立てて重要なことをしていたわけではないから。
 本当は、もっと違うことが気になっていて。

「……どうかした? さっきもずっと悩んでたみたいだけど……」
 「国王」の顔で会議を進めながら、さり気なく隣に座る凛華の様子も目に留めていたのだ。彼は凛華が気になってたまらないのである。
「ううん、そんな大したことじゃなくてね。ちょっと、変な夢見ちゃって……」
「夢? どんな?」
 尋ねられても困ったような表情をして言おうとしない凛華の髪を撫で、セシアは顔を覗き込んだ。
「話して。他人に言った方がすっきりすると思うよ」
「うん……」
 促してくれる言葉に曖昧に頷いて、凛華はぎゅっとセシアの服を掴んだ。
「あの……わたしはその夢の中では小学生……ええと、八歳くらい、かな。それくらいの子供になってて、それで真っ暗な所に居て、怖くて泣いてたの。でも、誰かが手を引っ張ってくれて、明るい所に出たんだけど……。……それが……」
 自分が今から言おうとしていることがどれだけおかしなことか分かっている。
 それでも凛華は顔を上げて、少し言いにくそうに口を開いた。

「多分……お母さんだった……」

 ぎくりと。セシアが少し驚いたように目を瞠った。
 そんなセシアに気付くことなく、妙なことを口走ったと自覚している凛華は、慌てて手を振った。
「あ、でも、それだけ。お母さんかどうかなんて分からないし、第一夢だし……ちょっと、びっくりしたの」
 あまり、母親についての話をしたくなかった。
 父親についてもそうであるが、その話をしても、二人とももういない人なのである。いない人について話すのは、暗い雰囲気になってしまいそうだったので、止めたかった。ただでさえ今は戦争が始まるということもあって重苦しい雰囲気なのだ。
「うん……」
 複雑そうな表情を見せて、それからセシアはおもむろに立ち上がった。首を傾げる凛華にいつもの笑顔を浮かべて言う。
「俺でよければ何でも相談して。もう別れる、とか以外ならいつでも受け付けるよ」
「言わないよ、そんなこと」
 その冗談に楽しそうに笑いながら、凛華は改めてきゅうとセシアに抱きついた。

 ずっとここにいたい。この温かい腕の中にいたい。ここは、安心する。
 きっと今、あの暗く長く続く廊下で迷ってしまっても、セシアなら助けに来てくれる気がした。

「あのね、セシア。……大好きよ」
「俺はもう好きだけじゃ足りないくらい、リンカに溺れてるよ」

 ふわりと抱きしめられるこの温かさがいつまでも続けば良い。
 凛華はセシアの腕の中で目を閉じ、幸せそうに笑った。

 ここは明るい。
 そして隣にはセシアがいてくれる。