“リンカ”
「……ぅ、ん……」
“リンカ”
断続的に、頭の中で響く波のようにつかみ所のない声。
凛華は寝返りを打ち、頭をすっぽりと沈める柔らかな枕に顔を埋めた。
頭の中の声が眠りを邪魔しているわけではないからか、その声は不快ではない。まるで最初から知っていたかのような気さえ起こさせる優しい声だった。
一体これは誰の声なのだろう?
“リンカ、リンカ。
あなたに……全ての始まりを────”
え、と小さな声を漏らして凛華は目を覚ました。
いや違う。目を覚ませば天蓋から垂れ下がるカーテンを視界に入れる筈だった。
けれど今は違う。第一ここは室内ではない。
(……ここは、どこ?)
頭の中で波のようにさわさわと響く声は、やまない。繰り返し囁くように凛華の名前を呼び続けている。
(……これは、何?)
一面に広がる白と青のフィアラと丈の低い緑の草。
ああこれには見覚えがあるなと凛華は思った。
アルフィーユに初めて来て、そして目を覚まして最初に目に映ったのが、この風景だった。
広葉樹があたりに見えないから、あの場所とそっくりそのまま同じ場所というわけではないようだが、どちらにしろフィアラの群生地ということに変わりはなく、どこまでも、青と白の絨毯のように広がっている。
風に揺れるフィアラのさざめきまでが耳に届く。
確かにその風景を見ているのだという自分の意識はそこにあるのに、自分という存在はどこにもない。まるで映画を観ているような気分だった。
春の柔らかな陽の光を受けて、銀色が輝く。
(……え?)
自分と同じくらいか、それよりも少し長い銀髪が風に煽られる。
けれどその持ち主である女性はふらつくこともなくぴんと背筋を伸ばして立っていた。
その少し後ろには、この国でよく見かける茶色い髪の青年。
豪華な服だと凛華は思った。そしてどこかで見たことがある気がすると思った。それは、セシアが正装している時のような隙のない出で立ち。
──いつも、この位置。
頭の中で響いた声に凛華はぎゅっと両手で頭を抑えた。自分という存在があるのかも分からないのに、そうしようとしたことだけは分かる。
これは何なのだろう。
最初に聞こえた声とは違う、これは男性の声。
切ないように直接頭の中に響いてくる声。
いつも……この位置?
その意味を理解しようと頭を回転させるが、何のことなのかは凛華には分からなかった。
けれど考えている内に傍観者だった立場からいつの間にか豪華な服を身にまとった男性の視点に変わっていた。銀色の髪を惜しげもなく風に晒す彼女を後ろから見つめる。
いつも、この位置。
追いかけて、追いかけて、ただ彼女を手に入れるためだけに追いかけても、決して追いつけない。
彼女は振り返らないのだ。真っ直ぐに前を見据えて、限りない自由を望む。彼女は自分を飾る言葉を口にしない。時にはぐさりと刺すような言葉を吐くけれど、けれど彼女は本当のことだけを伝えてくれる。
そしてそれを自分はいつもこの位置で受け止めるのだ。
近づかない。近づけない。
『一生傍に居て欲しい』
これ以上ないほどの想いを込めてそう言った。これまで欲しいと思って手に入れられないものは何一つなかった。望めば手に入る。彼女も手にいれたかった。
どうしても彼女に振り向いて欲しかった。
自分の望み通り、彼女は後ろへと視線をやる。澄んだサファイアの瞳を、手にいれたかった。
銀の歌姫。
何よりも手に入れたかった人。
彼女は照れくさそうにふわりと笑った。いつも爽やかに笑っていた彼女とは違う、どこか丸みを帯びた笑顔。それから、彼女の通り名のごとく歌うように自分に告げた。
『ごめんなさい』
彼女は飾らない。謝る時も、ただその言葉だけ。
どうして、と尋ねても明確な答えは返ってこなかったが、自分には分かってしまった。どうして彼女がそう答えたのかを。
銀の歌姫と称えられ、民衆に好かれ、輝くばかりの美貌だと誰もが彼女を賛美した。
けれど彼女が本当に欲したものは、そんなものではない。
唯一心を許した人間。自由な彼女を縛らず、その自由を守ろうとする男性。
『セリ、アン……』
自分が呆然と呟いた声に対して、彼女は頬を染めてまた視線を前へと戻した。
どうして。どうして。どうして。
親友だと、誓った。どちらかが困った時は必ず助け合おうと笑ったのに。
どうして。
どうして、彼女までセリアンに奪われる?
もうお前は完璧じゃないか。これ以上何を望むと言うのだ。
彼女まで、手にいれるのか?
──わたし、貴方のこと好きよ。貴方のその不器用なところも、ちゃんと貴方の一部だもの。
彼女だけは自分を慕ってくれていると思い上がっていた。
自由な彼女が、不器用な自分を。
それなのに。彼女は自分ではなく、セリアンを選んだ。
『あの人の傍にいたいの』
彼女は煽られる髪を片手で押さえ、囁くように小さく言った。
違う。こんな笑顔は彼女に似合わない。そんな、儚げな笑顔は彼女には似合わない。
いつも通り笑って欲しかった。爽やかな、凛とした笑顔で。
違う。違う。違う。
こんな笑顔を浮かべるようになったのは、セリアンの、せい。
──いつも、この位置。
青年の視点から急に引き離され、傍観者の位置に戻った凛華はじっと青年を見つめた。
さわさわと揺れ続ける一面のフィアラを、焦点の合わない瞳で眺める彼。結局最初から最後まで彼は一歩も動かなかった。銀髪の彼女はもう一度ごめんなさいと言うと、背筋をぴんと伸ばしたまま、颯爽と歩いて行った。
冷えた空気に頬を撫でられて凛華はぼんやりと瞼を開いた。
天蓋が視界に入る。
ああこれはちゃんとした現実だなと回転の鈍い頭で考え、目をぱちぱちとしばたかせる。それからがばりと上半身を起こして、自分の両手を眺めた。
妙に頭がはっきりとしない。寝起きだからだろうか。
それとも。
「……なに……? 今の夢……」
夢の中で目覚める前に聞こえた声。あれは一体誰の声だったのだろう。
さわさわと、揺れるフィアラ。
夢に出てきた場面を思い出した瞬間に襲ってきた言いしれない哀しさに、凛華はかけてあったふかふかの掛け布団をたぐり寄せた。
風に靡く銀の髪も、澄んだサファイアの瞳も、自分がシンクロしていた青年の顔も、会話の内容も、夢なのに全てしっかりと覚えている。
「あの人……セシアの、お母さんだ……」
独り言のように凛華はぽつりと呟いた。
一度も彼女に会ったことはない。けれど髪の色と瞳の色はそのままセシアの色だ。顔つきだって、似ている。一度だけ会ったことのある神殿の巫女よりも気の強そうな人だった。姿勢が良く、ああ綺麗だなと思った。
そして今頃になってどうしてセシアに惹かれるのか、分かった。
多分この気持ちは、彼女にプロポーズをしていた彼と同じ気持ちだ。
一緒に居たい。ただ、傍に居たい。
凛華は窓から差し込んでくる朝の光を見てため息をついた。
まだ早朝だ。起きる時間には少し早い。
すこし寒かった。アルフィーユは秋が短いのだろうか、この間まで夏だと思っていたが、もう朝と晩が冷え込むようになっている。
這い寄る寒気を消そうとして腕をさすり、凛華は枕に顔を沈めた。
早く起きてしまったらもう一度寝るに限るのだが、わけの分からない夢に一度覚醒した頭は、そう簡単には眠ってくれそうになかった。
「ひつじ数えても、絶対寝れないんだよね」
羊を数えるといつか眠くなると言うが、凛華はどうしてもそれができない。
いつの間にか数えることに真剣になってしまって余計に意識がはっきりしてしまうのだ。
以前はどうしていただろうか。こうやって眠れない時は。
最近はずっと熟睡できていたから、そんな方法など必要なかったのに。
「お父さん……」
この癖は変わらない。寂しくなった時、眠れない時に父親の名前を無意識に呼ぶ凛華の癖。
目を閉じればいつも笑ってくれる父親がいる。
「お父さん、お父さん……お父さん……」
父親にべったりと依存していたわけではない。ただ傍に居て欲しかっただけだ。目を閉じれば笑う父親。けれど手を伸ばしても、その父親の手に触れることはない。もう本物の父親はいないのだから。ただ温かさも何もない空気を掴むだけ。
凛華は無意識に手をシーツに沿って伸ばし、もう片方の腕を顔に強く押し当てた。
『わたしは、強くなんかないです』
あの日フェルレイナに言った言葉は嘘ではない。一人になった途端に弱い自分に戻ってしまう。
「やだな……」
腕を顔に当てたまま小さく言って、凛華は手に感じた水分を拭った。
強くなりたい。
せめて自分の弱さを隠すことができるくらいに。
夢の中で見たあの女性とまでは言わない。けれどもう少しだけ。自分に自信を持ちたい。
現実から逃げ出したい。こんな風に、夢の中の彼も思ったのだろうか。そう考えると余計切なくなってきて凛華は目尻から流れ落ちる涙を止めることができなかった。ひっく、と嗚咽が漏れる。
「リンカ?」
労るような小さな声が聞こえてきて、凛華は覆っていた腕をどけて跳ね起きた。
未だに目尻を潤す水分を拭う。
まさかと思いながらも天蓋の開いている所から向こうを見た。
丁度廊下へと続く扉とは反対側の扉、つまり凛華がいる寝台からは遠い方にあった扉が開いていて、そこに人がいた。
夢の中で見た銀髪とサファイアの瞳と全く同じ色が、そこにある。
思考が、停止した。
ぱっちりと漆黒の瞳を見開いて全ての動作を停止させている少女に、この部屋の主は穏やかな笑みを浮かべた。
「おはよう。どうしたの、嫌な夢でも見た?」
扉から寝台へと近づき、セシアは凛華の頬に手を当てた。指の腹で涙を拭って「大丈夫?」と首を傾げる。
こくんと頷きながらも、いまいち状況を呑み込んでいないらしい様子の彼女に、セシアは説明してやった。
「リンカ、勉強を頑張るのもいいけど、眠くなったら今度からちゃんと言うように」
こつ、とからかうように額を突かれて、やっと凛華は理解した。
昨夜、セシアに勉強を教えてもらったのだ。
数学の分からなかったところを解説してもらって、それからまたいつものようにこの世界のことを聞かせてもらって。
アルフィーユやジェナムスティの情勢はだいたい把握したから、昨日は周辺の小国のことをたくさん聞いた。中立国であるマチェスのことはあらかた聞いていたから、主にフローラやエルカナツといった南方の国々が中心だった。
国の概要や政治体制を色んなエピソードを交えて教えてもらった。その内容はきちんと覚えている。つい夢中になってしまって、随分と遅い時間まで話していたことも覚えている。眠たいな、と一、二度思ったような記憶もあるのだが、それでもつい話に耳を傾けてしまった。途中からの記憶が全くない。多分、途中で眠りに落ちてしまったのだろう。
状況を把握していくにつれ、凛華は頬を染めて恥じ入った。
「ご、ごめんなさい……。わたし、セシアのベッド取っちゃった……」
何故目を覚ました時に気付かなかったのだろうか。
見た夢に驚いてばかりで、寝台が自分の使っているものではないことに、この部屋が自分の部屋ではないことに、気付かなかった。
わざわざ教えていてくれたセシアの話の途中で眠りこけた凛華を、きっと寝台まで運んでくれたのだ。
迷惑のかけ通しである。
何の仕事もせずに剣術や馬術の稽古をしているだけの自分が、朝から夕方までひたすら執務室で仕事をしている国王の眠る場所を奪うなど。
叶うことなら昨夜に戻って、眠る自分の頬をつまんで「自分の部屋で寝なさい!」と説教の一つもしてやりたい。
ううう、と赤い顔をして寝台にちょこんと座り、呻いている凛華に苦笑しつつ、セシアは彼女の傍から離れ、片方だけわずかに開けていた両開きの窓を押し開けた。昇りだした太陽の光が先ほどよりもぐっと部屋に差し込む。その眩しさに、セシアは思わず目を細めた。
寝不足の目にこの眩しさは辛いものがある。
セシアは寝不足なのだ。
それというのも、凛華のせいで。
昨夜、話の途中、うんうんと相づちを打っていた凛華が静かになって。
まさかと思って顔を上げたら、案の定凛華はこくりこくりと船をこいでいた。
『っ!』
ぐら、とその体が傾いだため、慌てて席を立ち腕を差し伸べると彼女の体はすっぽりと腕の中に収まって。
暖炉に火を入れていても晩は冷え込むため、寒気を感じていたらしい凛華は、人の気も知らずに「んん……」と口を動かしてすり寄ってきた。
『リンカ』
名前を呼んでも、すっかり寝入った凛華は小さな寝息を立てるだけで、暖を取ることができて機嫌が良いのか、無防備な笑顔を向けてくる。
『……男の前でこんな無防備に寝て……襲われても文句は言えないよ』
いっそこのまま自分のものにしてしまおうか、と思ったけれど。
『……し、あ……』
「セシア」と、名を呼ばわって、眠りながらもふにゃりと幸せそうに笑うから。
無条件に寄せられる彼女の信頼を裏切ることができず、哀れな国王は、しばし自分の欲望を押さえ込むべく立ちつくし、そして彼女を自分の寝室へ運んで寝かせてやった。
男性の騎士服と同じ造りの服を着たままでは寝苦しそうだったため、襟元をくつろげ、足を締め付ける革靴を脱がせ、高く結わえた髪をほどき、護身用の短剣をベルトから抜き取って。肩までしっかりと掛布をかけ終えて、その白い額にキスを落としてから、長い長いため息を漏らした。
今更ながらセシアは、自分の忍耐力は素晴らしいな、と思った。
「セシア?」
「ん、何?」
寝乱れた敷布を直していた凛華からかけられた声に驚き、窓に手をかけたまま後ろに振り返る。
凛華は彼女が何か不思議に思うことがある時いつもするように、こくりと首を傾げていた。
「セシアは、どこで寝てたの?」
セシアの寝台はとても大きく、大の大人がゆうに四人は眠れるであろう幅がある。けれどそこに眠っていたのは自分一人だった。
ではセシアは一体どこで眠ったというのだろうか。
「……向こうの部屋」
セシアはわずかにうなだれながら、先ほど自分が出てきた扉を指し示した。
寝室の隣にある部屋は、昨夜二人で話をしていた居間にあたる部屋で、そこには二人がけのソファが二対と、ローテーブルや飾り棚などの家具しかない。
そこで眠ったというのなら必然的にソファで、ということになるのだが、実際はセシアはろくに眠れなかった。すぐ隣の部屋で恋人が寝息を立てているという状況があまりに気がかりだったために。
「……ごめんなさい」
申し訳なさそうにしゅんと凛華がうつむいてしまい、セシアは窓から手を離して寝台へと近づいた。
「謝らなくて良い。……ただ次からは眠たくなったら、我慢せずに言うこと。部屋まで送って行くから。分かった?」
少しほつれた髪を梳いてやりながら諭すように言うと、凛華は一にも二にもなくこくこくと頷いた。
とても素直である。
昨夜からそうしてくれていればどれだけ良かったことか。
ふうと隠れてため息をつき、セシアは少し意地悪に笑った。
「夜遅くに男の部屋に来て、その男の前で無防備に寝るなんて……リンカ、俺に襲われたいの?」
「おそうの?」
セシアを見上げて凛華が首を傾げる。
さらりと揺れる漆黒の髪と何とも単純な問い返しに、セシアは一瞬どころか数瞬ほど言葉に詰まった後で、がっくりと脱力した。
もう少し疑う心を持つとか、意識するとかしてもらわないと、きっと自分は仕事に手がつけられなくなってしまう。
理性はあるつもりだったけれど安心しきって傍で眠られるのは予想以上に辛かった。
以前はこんなことはあり得なかったのに。ただ機械的に仕事だけをこなして必要最低限の生活をしていくだけ。そう言えば、笑顔を見せるのも、義妹やアイルの前だけだったと思う。
冷徹な国王。
それで良かった。
国が必要とするのは仕事ができる者だ。国王に、余計な感情はいらない。
王族など見た目ほど羨ましいものでも、なりたいようなものでも何でもない。本気でなりたいと言う人間がいたら喜んで差し出すくらいに、王族というものがセシアは嫌いだった。
けれど。最初につくりものの笑顔を崩したのは凛華。
セシアのように都合の良い笑顔を浮かべているだけではない凛華は、あの馬車の中で考えごとをしていたのだろうか、くるくると表情を変えていた。眉を寄せていたかと思ったらはっとした表情になり、それからどうしようと困ったような顔になる。自分の感情に正直だった。
いっそ理性など無視して彼女を自分だけのものに、という気持ちがないわけではないけれど。
「セシア」
自分に向けられるこの笑顔を大切にしたいという気持ちの方が、強い。
凛華は、自分が問い返したせいで恋人が思いきり脱力したのを見て、何かいけないことでも言ってしまったのかと、不安そうにセシアを見上げていた。
けれど返ってきたのは優しい笑顔と、優しい声。
「リンカ、朝食、一緒に食べようか」
ずっとセシアの寝台を占領していた凛華は、彼の言葉を耳にして笑顔を浮かべてから、もそもそと抜け出した。
セシアが寝台の下に揃えてくれていたブーツに手を伸ばそうと屈んだところで、ひょいと別の手が伸びてくる。
「え?」
「……胸元」
言われて視線を落とすと。
きっちりと喉まで締める形の服が緩められて、そこから下着が覗いていた。
「っ!」
かっと顔を赤らめる凛華を余所に、セシアは開けていたボタンを下から順に留めてやった。
「あ……あああ、ありがとうござい、ます」
思わず丁寧語だ。
悲鳴をあげてもおかしくない場面ではあったのだが、あまりにもさらりとセシアがボタンを留め、留め終わるとさっと離れたので、凛華はタイミングを失い、大人しくブーツの紐を結ぶことに専念した。
(さらっとやった! すっごいさらっとやった! ……ななな、慣れてるのかな)
動揺し過ぎて二度ほど結ぶのに失敗し、結び直さなければならなかった。
セシアの私室を出ると、扉のすぐ前に警備責任者のロシオルと凛華の侍女責任者のベルがいて、凛華はかなり驚いた。
素っ頓狂な声を上げる凛華に、ベルは満面の笑みで「おはようございます」と、ロシオルはしかめ面で「せめてどこにいるかはベルに知らせておけ」と言った。
凛華は慌ててごめんなさいと二人に謝った。今日は朝から謝ってばかりだ。
夢に出てきた光景も、囁かれた声も。
何かを掴めたような、それでいて全く何も分からなかったような、そんな夜だった。
凛華がベルと、そして国王と食事を共にするなどとんでもないと渋るロシオルを誘い、四人で朝食を取ることになる。
セシアは誰かと食事ができて喜ぶ凛華を見ながら、ふうと小さくため息をついた。
見返りを求めない彼女を大切にしたい。安心しきられるのも辛いものがあるけれど、それでもこの笑顔がいつまでも続くように。
出来ることなら彼女にだけは知られたくない。
賢王だと言われる自分の、少し前を。
穏やかな笑顔で全てを押し隠しながら、平気で人を駒として切り捨てることが出来た。国にとって不利益になる者はその地位を奪ったし、放逐したことも、牢へ入れたことも何度もある。逆恨みされそうな覚えはいやになるほどある。
国王としてはそれが正しい。けれど人としては良かったとは言い難い。
『──血も、涙もない』
その通りだった。
けれどそうあらねばならなかった。
「セシア? どうかしたの?」
「え? ……あ、いや。何でもないよ」
「そう?」と首を傾げている凛華にごまかしの言葉を紡いで、セシアは止まっていた食事の手を再開させた。
国王一人の朝食にはつかないはずのデザートを片手に、美味しいと嬉しそうに笑っている凛華をちらりと見やる。
『納得できない』
ジルハが王城へやってきたあの日、凛華は真っ直ぐにセシアを見てそう言った。
敵対している国であるジェナムスティの騎士隊長を殺すのかと尋ねて、そうだと言えば、と聞き返したら、彼女は納得できないと答えた。
アルフィーユ人もジェナムスティ人も、誰一人死んで欲しくないのだと。
それは確かに少女故の潔癖から出た理想論だったのかもしれない。
彼女自身、死者を一人も出さずに戦争を止めることなど不可能だと分かっていた。
それでもそう願うのだ。
出来ることならば、そんな風に願う彼女にだけは。
人としての体裁のためだとか、大国の国王としての威厳だとかではなく。
ただ、あの頃の冷酷な自分を知られて彼女が自分から離れていくのが怖いから。
知られたくはない。