凛華が連れ込まれてしまった庭園は誰でも立ち入り自由なのだそうだ。
 てっきり手入れが大変で普通の人は入ってはいけないのだと思いこんでいた凛華は、ためらっていた自分に向かって言われた言葉に驚いた。

 フェルレイナ自身がくつろぐためにテーブルと椅子を用意したのだという、その白い椅子に他人行儀に座った凛華は、足先に触れる柔らかい草に気付いて少し嬉しくなった。塔から出たすぐの場所や稽古場に続く道とはやはり違うのだろうか。先ほどはちくちくとする感触が我慢できなくて廊下に移ったのだが、ここの草は柔らかく、それほどくすぐったいとは感じなかった。
 花屋の中にいるような気がする。むせかえる、とまではいかないけれど、漂ってくる花の香りは何とも心地よかった。
 フェルレイナが座ってから何も言わないので、凛華も何も言わずに目を閉じていた。
 周りの音に耳を傾ける。風に葉と花と草が揺れる音。ぱしゃぱしゃと水音がするのは、きっと近くに噴水か何かあるのだろう。
 この王城はとても居心地が良い。

「リンカ」

 目を閉じて周りの音に耳を傾けていた凛華は、向かい側からかけられた声にぱちりと目を見開き、慌てて声の主へと視線を向けた。
「は、はいっ」
 裏返った声で慌てて返事をする。あからさまに硬い声音だった。
 それを聞いて、フェルレイナは一瞬きょとんとしてからふふっと笑った。
「前にも言ったけど、そんなに緊張しないでくれる?」
「はあ……」
 困ったような声を凛華が出す。そんなことを言われても、セシアとはまた違った意味でフェルレイナといると緊張するのだ。ものすごく有名な人の傍にいる感じだろうか。
 最初はセシアに対してもそう思っていたのだが、親しくなる内にその緊張はほぐれていった。今では別のことで緊張しているのだけれど。
 視線を泳がせる凛華に声をかけず、フェルレイナは椅子から立ち上がり、少し離れた花壇にぴしりと一列に並んでいた花に触れた。
 フィアラよりも随分背が高く、長い茎の先には真っ白な花びらが黄色のめしべを中心に広がっている。
 百合に似ているなと凛華は思った。フィアラと同じくアルフィーユでの呼び方があるのだろうけれど、花の名前に詳しくないので、何という名前なのかは知らない。
 その花びらを撫でるようにして触れるフェルレイナに視線を落として、凛華はどきりとした。
 どこかすましていて、つんとしている普段のフェルレイナも、花祭りの夜に笑いかけてくれたフェルレイナも見たことがあるが、今の彼女はそのどちらとも違っていた。
 幼かった。
 年端もいかない子供のように寂しそうな表情をして、花に触れている。
「王女?」
 どうかしたのか、という意味を込めて、呼びかけると、その声にはっとしたフェルレイナはぱっと手を花びらから離して振り返った。
 そして振り返った先にあった凛華を見て、ぎくりと身を引いた。
 心配そうな凛華の顔を、一瞬別人と見間違えた。
 どうかしている。
 目を閉じれば母親の柔らかな笑顔と、ベルの微笑みが思い浮かんだ。
 もう平気だと、思い出して辛くなることはないと思っていたのに。
 結局今になっても、自分は引きずっているのだ。
「……リンカ」
 考えを吹っ切るようにフェルレイナは凛華に話しかけた。
「はい」
 声をかけると彼女は真っ直ぐに自分を見返す。先ほどは困ったように視線を揺らしていたのに、彼女の真っ直ぐな視線はもう揺れてはいない。

(羨ましい)
 はあと小さなため息をつき、フェルレイナは頬にかかる緩くウェーブのかかった髪を払いのけて再び椅子に座った。
「……お義兄さまがあなたに言った事、聞いたの」
 何気なく漏らされた言葉。
 それを耳にした凛華は、先ほどまでの真っ直ぐな視線はどこへやら、途端に慌てて落ち着かないそぶりを見せた。

 どうしてフェルレイナがそのことを知っているのだろう。
 義兄を慕っているこの王女に、知られてしまった。

 あたふたと慌て出す彼女は素直で、本当に年上なのだろうかと疑ってしまいたくなる。口に手を当ててフェルレイナはくすりと笑った。
「王城って怖いんだから」
 付け足すようにそう告げる。
 噂話好きの女官たちの話に耳を傾けると、王宮内の大抵のことは分かる。彼女たちはどうしてそんなことを知っているのだろうとフェルレイナでも不思議に思うくらいに事情通なのだ。
「は、はぁ……」
 凛華は何と反応すればいいのか分からず、間の抜けた声を出すことしかできなかった。てっきり睨み付けられると思っていたのに、この王女は笑っている。
「……で? どういう風にこたえるつもりなの?」
 投げかけられた質問に凛華は口を閉ざし、考えるように庭園の方を見つめた。



 セシアは嫌いではない。アルフィーユに来て初めて出会った彼。
 少し大人びた様子だけれど若い、国王。十九歳だと聞いた時はひどく驚いた。
 国を任された青年。凛華の知っている十九歳は、大学が忙しいだとかバイトがつまらないとか、自分とそう変わらない態度を取る人たちばかりだった。知っている対象がバイト先の先輩だけなのだが、それでもきっとああいうのが普通の日本での十九歳なのだろう。当たり前だ。たった三年しか違わないのに、考え方から全て違っていたら驚く。
 けれどセシアは違う。
 国王としての仕事は、彼を飾りとして年配の人々がやっているのではなく、本当に彼自身が考え、行動しているのだ。
 忙しい合間に自分に乗馬を教えてくれた。勉強まで見てもらっているし、国王が少人数で向かうべきではないテニグにまで自分を助けに来てくれた。
 あの時、本当に嬉しくて、父親以外でも安心できる人がいたのだと初めて知った。「もう大丈夫だ」と言われた時、涙が出そうになった。

 父親が亡くなった時のことを思い出すと今でも辛い。
 けれど、アルフィーユに来て、人々の優しさを知ってから前ほど辛いとは思わなくなっていた。前は思い出すだけでズキズキと胸が痛んで、まるで心臓を鷲づかみにされているような感じがしていた。それなのに今はちくりとしか痛まない。
 傍に誰かがいる。
 安心する、気持ち。
 特にセシアが傍にいてくれた時、人前にもかかわらず眠りこけてしまったり、髪を撫でられても嫌だと思わなかったりと、不思議なことだらけだ。
 父親に似ていると凛華は思う。
 穏やかに笑うところも、傍にいて安心するところも。
 離れたくない。ずっと傍にいたい。

 そう、思う、けれど。

 凛華はただの学生で、彼はこの国の国王陛下だ。
 考え方も力もまるで違っている。何も敵わない。ちっぽけなただの子供と、大人びている彼。釣り合う筈がない。
 自分はこの国の異分子なのだと思う。
 生まれも持って生まれた色も信条も言葉も、何もかもが違う。
 ある日突然紛れ込んだ異邦人なのだ。
 フェデリアの預言があるからこそ、ありがたい存在として受け入れてもらえているけれど、もしも預言などない状態で紛れ込んでいたらと思うとおそろしくなる。
 凛華自身、何の前触れもなく、自分とは全く異なる存在の人が現れたら、きっと驚いてそしてすぐに受け入れようとはしないと思うからこそ、怖くなるのだ。
 自分の存在意義は、ただ一つ。
 フェデリアの預言通りにこの大きな戦争に終止符を打つこと。
 では、戦争が終わって平和になればどうなるのだろう。
 それで用無しとされてしまったら。
 また一人きりになってしまう。置いておかれてしまう。
 そう考えるとずきりと胸が痛んだ。

 この国にいたいと思う。
 けれど、この胸の痛みがなくなることはない。


 セシアに何と答えるのかと尋ねられても、凛華は何も答えることができなかった。



 心ここにあらずの状態の凛華に、フェルレイナは浮かべていた笑顔を消した。

(どうして。お義兄さままで)

「……お義兄さままで……わたしから取るの……?」

 こんなこと言ってはいけないと分かっているのに、口をついて出た言葉は止めることができなかった。
「え?」
 自分に視線を戻した凛華は、先ほど見せた考え込む表情ではなく、不思議そうに首を傾げていて、その表情がフェルレイナには、何の悩みも持っていないように映った。
 突然現れ、王城へ住み着いて。
 「預言された少女」と大切にされ、褒めそやされ、人目を惹く容姿を持ち、健康な肢体を持ち、必要だと言われている。

(どうして。あなたは、わたしにないものを全て持っているのに)

 ぐっと奥歯を噛みしめるけれど、一度大きく揺らいだ感情を抑制することができない。
 言ってはいけない。駄目だ。
 それなのに。
「そんな……綺麗な容姿で……。あなたの周りには……動物も、ロシオルも……ベルだってリーサーだっているじゃない!! ジルハもアルシィも、誰だっているでしょう!?」
 言ってはいけない。
 つんと鼻が痛くなった気がしてフェルレイナはぶんぶんと頭を振った。
 涙は溢れて来なかったけれど、それでも表情には出ていたらしい。
 ひどく辛そうな表情を浮かべるフェルレイナを、凛華はその漆黒の瞳を見開いて見つめていた。
「もといた場所に家族だっているんでしょ!? わたしみたいに、王家にも縛られない。周りの人はあなたを『預言された少女』って認めてる……。それで、充分じゃない!」

 たった一人の家族を。

「それなのに……わたしからお義兄さままで取り上げるつもりなの?」

 取られたく、なかった。

 二人きりの家族になってしまった。母親も父親も死んだ。
 義兄は優しいけれど仕事が忙しい。それでも二人の時はいつでも優しく頭を撫でてくれて、そして時には怒ってくれる、兄。
 王族なのだからいつかは政略結婚をしてこの国を出て行かなければならないことをフェルレイナは理解していた。それでも良かったのだ。それまで、兄の傍にいられれば。
 それなのに見ず知らずの少女に義兄は惹かれてしまって。
 結婚は国のためを考えてすると漏らしていた彼が、何の後ろ盾もないただの少女のことを好いていると。
 兄は誰も好きになったりしないからと安心していた。
 いつか自分がこの国を出ていくその日までは、二人きりの家族として、この温かな国で生きていくことができる。
 ……突然現れた少女は。
 とても、純粋で素直な、いつも真っ直ぐに前を向いているイメージしかなかった。
 気取らず、侍女たちを馬鹿にするような、そんなどこかの上流貴族の娘のようなことを全くしない。
 自由で。まるで風のように自由なのに。それでいてとても柔らかくて、強い。

(わたしはこんなにも弱い、のに)


 もういい。そう思った。
 もう止められそうにない。馬鹿な王女だと思われても良い。全部言ってしまえ。
 投げやりな気分になり、フェルレイナは体の横に下ろしていた手をぎゅっと握った。爪で皮膚が傷つくほどに強く握りしめる。
「強くなりたい……っ。王家なんかに縛られたくない……。リンカみたいに……前を向いていたい、のに……っ!!」
 王女という肩書きも何もかも全て忘れて、だだをこねる子供のように泣き出してしまいそうだった。
「……」
 今にも涙をこぼしそうなフェルレイナの表情を見て、話を聞いていた凛華はゆるゆると首を振った。

「王女は強いと……思います」

 ぽつりと小さな声で呟く。
 聞こえないかもしれないと思っていたその声は、けれどしっかりとフェルレイナに届いているようだった。きっと、睨み付けられる。
「……何よそれ。馬鹿にしてるの?」
「してません。……それにわたしは、強くなんかないです。わたしは……捨てられることが怖くて……弱くて……笑うのも、話すのもやめたことがあるんです。臆病なんです。それしか、自分を守る方法が分からなかったから……っ! わたし、全然充分なんかじゃ……っ」
 ドレスをぎゅっと掴み、凛華はフェルレイナを見た。

 捨てられることが怖かった。一人にされることが怖かった。
 また裏切られるのかと思うと誰も信じられなくなって。
 弱い子供だったのだ。
 フェルレイナの言うような何もかもを備えた人間などではない。むしろ足りないことだらけの不完全な人間なのだ。
 前向きではないし、ずっと以前の出来事を引きずっている。

「でも、王女はさっき、わたしに言ったじゃないですか。前を向いていたいって。それを他人に言えるのは、強いと思うから……。わたしは人に言えない……っ」
 自分の弱みを出すことができる人は、強い人だ。弱すぎる人はその弱さを出すこともできず、平静を装う。
 自分は後者だと思う。
 凛華は唇を噛みしめた。
 怖くて、弱い子供だと呆れられるのが辛くて、わざとつくったような当たり障りのない笑顔を浮かべて、そのまま生きていた。
 何て自分は弱いのだろう。
 セシアの生き方を知り、ロシオルの考えを知り、親友の強さの理由を知って。

 泣きたくなった。

「王女もセシアも、ロシオルもベルも……みんなわたしから遠過ぎて……強いと思います。それなのに優しいから……っ!」

 温かくて強い人たち。
 それは、居心地が良いけれど。
 強くなりたいと思う。
 前だけを向いていたい。真っ直ぐに前を向いていたい、のに。
 振り返ってしまう。自分にとって幸せ過ぎるくらいに心地良い場所で、立ち止まってしまう。
 自分にもそんな強さがあれば良いのに。


「ベルは……強いと思うわ……」

 ぽつりとフェルレイナが言った。
 凛華からしてみれば彼女はとびきりの親友で、フェルレイナからしてみれば彼女は親友「だった」人だ。
 傍に居ると思わず微笑みたくなるような、温かな人。

 彼女は意志の強い人だった。
 自分の母親が亡くなり、その面影をベルの笑顔に見続けて、彼女を避けるようになっていた時、侍女をやめると言い出したのは彼女だった。フェルレイナが何故笑わなくなったのか、何故ベルを避けるようになったか彼女は知っていたから。
 もしも彼女が弱かったら、二人とも駄目になってしまっていた。
 けれどベルは強かったから。前を向いていたから。
 それは凛華も同じだ。
 フェルレイナ付きの侍女を辞めたあと、ベルはしばらくうつむきながら歩いていたのに、以前のように笑っている。嬉しそうに凛華の傍にいる。それは彼女が強い、証拠。


 みんな、誰かが羨ましいのだ。
 真っ直ぐに前だけを見ている人に憧れて、弱い自分を嫌いになっていく。
 変わりたくても変われない。そんな自分が悔しくて、更に後ろばかりを見てしまう。

(きっと、誰もが弱くて……誰もが強いんだわ……)

 わたしは子供だ、とフェルレイナは自嘲した。
 ふと顔を上げ凛華を見ると、彼女も同じような表情をしていた。今にも泣きそうな、けれどそれを堪えている笑顔。
 お互いに目が潤んでいるのが分かってしまい、照れくさく笑い合った。
 くすくすと笑いながらフェルレイナは、一緒に泣くよりは一緒に笑う方が幸せだと思った。
「あ、あの王女……」
「何?」
「王女がさっき言ってた、元いた場所のことなんですが……」
 一度うつむきかけて、凛華はやめた。
(うつむくな。強くなれ、自分)
 ドレスを先ほどよりも強く掴んで、うつむかずに前を向いて口を開いた。
 大丈夫。もう胸はずきずきとは痛まない。ちくりと痛むだけ。それも、一瞬。
「元いた場所に家族は、いないんです。お母さんはわたしが小さい頃に亡くなって……お父さんも、お祖父ちゃんも、わたしにはもういません。大好きな人は、みんな、いなくなってしまったんです。だからわたし……寂しがってばかりで……」
 泣きそうになる。けれど、今は泣かない。
 フェルレイナは焦げ茶色の瞳を見開き驚いた後で、はっきりとした口調で言った。
「……わたし、無神経なこと言ったわ」
 謝るのは卑怯な気がした。「ごめんなさい」で済ますことができてしまうほど、簡単な事ではないのだ。

 セシアもフェルレイナも似ている。優しい人だ。
 分かりにくい不器用な優しさがとても嬉しくて、凛華はにっこりと笑った。
「わたしも色々言っちゃいましたから。おあいこ、です」
 とても綺麗に、目を細めて花が開くように笑う凛華に驚いて固まってから、フェルレイナはまた白い花を眺めた。

 大切な人。死んでしまった母親に似ている花。


(……リンカはお母さまに少し似てる……)
 先代の王の第二妃だった母親は、破天荒な性格の第一妃とは違っておっとりとした春のような女性だった。
 それでも妻を亡くしてしまった王を癒せるだけの力はあったのだ。
 伯爵家の娘だったにもかかわらず彼女は誰に対しても平等な人で、フェルレイナはそんな母が大好きだった。王太子であるセシアとも彼女は上手くやっていて、時折見せる笑顔が、たまらなく綺麗だった。

(お母さま……わたし、また笑えるかな? 前みたいに、できればベルと一緒に)

 彼女が亡くなった後の自分はベルに対してとても冷たい態度を取っていたような気がする。
 ベルの柔らかな強さはしばしば母親をフェルレイナに思い出させて、ハープを弾き、話し相手にもなってくれた彼女を、フェルレイナはいつしか避けるようになっていた。
 それにもかかわらずベルはフェルレイナを非難せずに、ありがとうございますとあの時深く頭を下げたのだ。
 いつか、彼女とまた、話すことができたら。


「ねぇ……リンカ」
 白い花に目を向けたままでベルが言う。
「はい?」
「……また笑えるかな」
 その質問に凛華が首を傾げる。

 また、自分も笑えるだろうか。
 そうだと、いい。

 それから、満面の笑みを浮かべて光のように笑う。
「はいっ! 勿論ですっっ!」
 振り返って、フェルレイナが笑った。ベルが見たら泣き出しそうなくらいの、あどけない昔の笑顔。

(お母さま……わたし、笑ってもいいよね……?)

 ふっと、白い花の向こうに笑顔が見えた気がした。変わらない穏やかな母の笑顔。
「……っ!」
 思わずフェルレイナの焦げ茶色の瞳から涙が溢れる。いきなり泣きだされて凛華は焦った。
「あ、えっと! だ、大丈夫ですか! ひと……人を呼んで……っ!」
「呼ばないで」
 泣き顔見られるの恥ずかしいから、とフェルレイナは泣いたままで小さく笑った。
「では、水を……」
 冷やさないと、腫れてしまう。
 走りにくいオレンジ色のドレスを翻して凛華が歩き出そうとする。その凛華を、フェルレイナは声をかける事で制止した。
「大丈夫」
 凛華が振り返る。涙を拭って笑顔を浮かべるフェルレイナがいた。

「許さないから」

 耳に入った声に驚いて凛華が首を傾げる。
「え?」
「寂しいからとか、身分が違うからとか……そんな理由で、自分の気持ちに嘘ついたりしたら……絶対、許さないんだから」
 どこか面白がるようなフェルレイナの言葉の意味が分からず凛華は首を更に傾げた。
 さらりと揺れる黒髪ときょとんとした顔を見て、フェルレイナが少し苛ついた声を上げる。
「もう鈍いわねっ! リンカだったらわたしのお義姉さんになってもいいって言ってるの!! あなたは……っ! お義兄さまに近付くために……わたしを利用しようとした人たちとは違ったから……っ!」
「え? ……あ……ええっ?」
 おろおろと慌てる彼女は、周りから見るととても面白かった。
「いいわね!?」
 念押しするように言うと、凛華がこくこくと勢いに流されて頷いた。
 満足げな笑顔を浮かべ、フェルレイナはふわふわしたドレスを翻した。
「もう、帰るわ」
 肩を竦めてフェルレイナが笑う。
「あの人たち、心配性だから」
 あの人たちとは恐らくフェルレイナと一緒にいた女官たちの事だろう。
「……そうですね」
 そう言えばベルも心配性だったな、と心の中で呟いて、凛華は笑った。

「……ベルの事も、お母様の事も……ありがとう……」

 肩越しに言われた言葉。
 凛華は耳には入ったのだが、意味が分からない。お礼を言われる筋合いがないのだ。何もしていない。
「……? わたし……何もしていませんが……」
 きょとんとした顔の凛華を見て、フェルレイナはそのまま人差し指をたてると笑いながら言う。
「お礼は黙って受け取っとくべきなのっ!」
 やや滅茶苦茶な理論。
 だが、ちらりと見えたフェルレイナの赤くなった横顔に、凛華も笑って答えた。
「はいっ」


 ふわふわした髪を風に任せて歩くフェルレイナを見やって、凛華はよし、と呟いた。
(セシアに、会いに行こう)

 会って、自分の気持ちを伝えるのだ。