大通りを埋め尽くさんばかりの人と、声と、笑顔。
凛華の知っている夏祭りそのものの雰囲気だった。
「わあ……っ!」
思わず目を輝かせてしまう。
凛華はこんなにもたくさんの人を見るのは初めてだ。大広間に収容できる人数よりも遥かに多い。
神殿の鐘が鳴ってしばらくは静かだったのだが、こうやって一時間もすると人出が増えてきていた。
声と笑顔も夏祭りそのものなら、その人混みのすごさもそれ相応だ。
大通りに目を奪われている凛華の姿をベルが見逃すまいと必死に探す。これだけの人の中でもし一度はぐれたら、きっと見付けるのは困難に違いない。それにいくら慣れてきたとは言え王都に詳しくない凛華は、ベルとはぐれたらおそらく迷ってしまうだろう。
「リ、リンカ! 人に紛れたら、迷ってしまいますわ!」
ですからこちらへ……
その言葉は続かなかった。
あ、と思った刹那。わあっと歓声があがる。
「!?」
通りの先で何か始まったのだろうか。ベルが慌ててそちらに視線をやると、どうやら楽師たちが何か演奏でも始めたようだった。
大変だ。アルフィーユは大国で、その国民の数も、大国らしく多い。
そして今日は年に一度の花祭りで、ほとんどの国民は騒がしく遊ぶ。王都でさえも今日はほとんど無礼講だ。そんな中、人の流れに流されたら、どうなるのか。
「あっ」
そんな軽い驚きの声をあげた凛華の漆黒の髪が、人混みに消えた。
人の流れは止まらない。
一年に一度のこの花祭りに、その場の人々のほとんどは余計なことを気にしてはいなかった。
「た、大変っ!」
頬に両手をあて、ベルが慌てる。
凛華に何かあったらそれこそ一大事だ。花祭りどころではない。
人混みをかき分けてでも凛華を追おうとしたベルだったが、いざ駆け出そうとした直後に思い直した。お祭り騒ぎの人混みの中でたった一人の少女を見付けるのは、不可能に近い。
「楽師たちの所を目指してるのなら……そこにリンカもいらっしゃいますわよね」
この人混みの流れの先は楽師たちのいる場所だ。そこまで行けばきっとこの流れは止まるだろう。
それからでも遅くはない筈だ。
ここは王都でその住人たちはほとんどそれなりの身分があり、王城に仕える人間なら漆黒の姫君が国王の賓客である事を知っている。彼らに保護されていてくれるといいのだが。
心の中で切実に願って、けれどベルはのんびりと人の流れに乗ることにした。焦りは禁物である。結構呑気なものである。
薄い生地が何枚にも重なったスカートが風に揺れる。
漆黒の姫君は困ったようにその場で首を傾げた。
「んー……はぐれ、ちゃった……」
ベルとはぐれてすぐに探そうとしたのだが、年に一度の花祭りだけあって、周りの人々の装いは華やかだった。花祭りという名前にふさわしく、自分やベルとよく似た花の色の服が多いのだ。見分けがつきにくい。
「そう言えば夏祭りもこんな感じだったよね……」
まだ浴衣を着ていないだけこちらの方が動きやすいからましだろうなと小さく笑って、凛華はベルを探すべく人混みに目をやった。
おのぼりさんよろしく、この土地にはあまり詳しくないのだ。
迷った時は動かず助けを待て。
凛華は父親の言葉を守るつもりでいたのだが、いつの間にか人気のないところまで押しやられてしまっていた。
これが現代なら「――からお越しの浅川凛華さん、お友達が探しておられます」などと恥ずかしい放送か何かやられてしまうに違いない。ここがアルフィーユで良かったと心底ほっと息をつく凛華だった。
頼りになるナビゲーターとはぐれ、見ず知らずの土地で途方にくれているというのに。やはり凛華もまた、呑気なものだった。
とりあえず人の流れの所まで戻ろう。
そう思った矢先。
何か、「予感」がした。
研ぎ澄まされた感覚。ざわざわと「予感」が自分に危険を訴えている。
何故だろう。師匠に剣の稽古をつけてもらっていたからだろうか。危機感というものを、はっきりと感じた。
何か、いる。
刺すような視線を背中に感じる。以前は視線など、感じられるものではないと思っていた。けれど今はぴりぴりと視線を感じる。
殺気だ。押し殺されたような、まるで蛇のように地を這うような、殺気。
そしてそれが向けられているのは多分──自分だ。
大げさにきょろきょろとしないように凛華はすっと視線を動かした。
少し通りの方まで進めば花祭りの歓喜に酔いしれる人々がいるのに。
(……静かになった……)
感じる違和感は消えない。何かの気配が押し寄せてくる。遠くのざわめきよりもそれはひどく強く、まとわりつく。
ぬぐい去れない妙な感覚。凛華は無意識に手を腰に伸ばした。
騎士たちが好んで着る服を身につけている時はいつも腰に短剣を帯びていた。自分を護ることができるようになるのだと決めた日から、凛華は護身用にとロシオルから渡された短剣をなるべく身につけるようにしていた。
いくら剣の稽古をつけてもらっていても、いくら剣の扱いを上達させても、使う武器がなければ意味がない。
はっとした。
剣が、ない。
よくよく考えれば当たり前だ。花祭りの、しかもこのような可愛らしいドレスを着ている時に剣などつけられるわけがない。剣の他に上手く扱えるものがなかった凛華には、それ以外武器になるようなものは何もなかった。
逃げなければ。
自分が武器がなければ非力であることを凛華は知っていた。武器があって初めて、辛うじて身を護ることができる程度なのだ。
凛華は敵に背を向けるのは恥だと言われて育ってきた人間ではない。逃げなければいけない時は逃げるのだ。
歩き慣れないサンダルながら、その場から一刻も早く離れようと凛華が身を翻した直後、鋭い声が耳に届いた。
「ハッ!」
かけ声と殺気とともに振り下ろされる剣。
振り返ってその光景を目にした凛華は、とっさにそれを避けた。師匠のあのとんでもない速さの剣には慣れているのだ。辛うじて避けることができた。
だが相手の力強さは確実だった。
後ろに身体を引いて凛華が避けた足下、先ほどまで凛華がいた場所に、深々と剣が突き刺さっていた。鉄筋コンクリートや大通りの石畳とまではいかなくとも、この地面も相当固い筈だ。いくら土とは言え、踏み固められたそれは堅固である。
(当たったら……死ぬ……よね)
こんなところで死ぬのは嫌だ。
背筋を流れる冷たいものを無視するように、気丈にも凛華はきっとその漆黒の瞳で剣の持ち主を睨んだ。
一見しただけでは黒にしか見えない髪が、ふわりと揺れた。
何をするのだと怒鳴ってやろうと思っていたのに。
何も、言えなかった。
凛華が呆然と立ち尽くす。
目の前にいたのは、凛華とそう歳の変わらなそうなほどの、少女。
その華奢な身体に似合わない無骨な剣を構えた彼女はあまりにも────。
逃げるとか、声を出すとか。そんな事さえできずに、凛華はただ呆然と彼女に視線を注いだ。
彼女は。
あまりにも。
自分に。
似ていた。
ほとんど黒のように見える髪。
体格も髪も、顔つきもいつもの自分とそっくりで。
ただ一つ、瞳の色だけは違ったけれど、それ以外は本当にそっくりだった。まるで鏡を見ているかのような不思議な気分になり、凛華は動けなかった。
ズッと、突き刺さった剣が引き抜かれる。
少し行けば先ほどの街道で、そこは舗装されている。ベルを探す為に一度人の流れを抜けた凛華は、それを悔いた。人さえいれば良かったのに。
引き抜かれた剣が、再び振り上げられるその一連の動きをただじっと見ていた凛華は、ふと口を開いた。
「……あなたは、誰?」
ごく当然の問いだった。
誰なのか。この、自分に似た人間は。
黒髪の人間は自分しかいないと思っていたこの国で、確かに存在しているこの目の前の彼女は。
「――侵入者」
凛華とそっくりなその顔に冷酷な笑みが浮かべられる。その表情は似ても似つかなかったけれど、囁くような小さい声は凛華にそっくりだった。
「侵入者?」
凛華は怪訝そうに眉をひそめた。
侵入した、つまりは王都外もしくは国外から不法に入ってきたということだ。
一体どこから?
ジェナムスティの国王であるティオキアが自分のことを知っていて、それで襲わせたのだろうか。
わざわざ、ベルと離れた時を見計らって?
「それとも……」
冷酷な笑みを浮かべた少女が、妖艶な笑顔をつくった。
こういう表情を浮かべると、もう凛華とは別人だ。
「暗殺者だ、って言えば……分かるかしら?」
驚いて目を見開いたままの凛華の視界の中、剣が、振り下ろされた。
速すぎる師匠の剣よりかは随分とゆっくりしたものだったけれど。
凛華は、それを避けようとはしなかった。
当たってしまう。これが当たればひどい怪我を負ってしまう。
分かっているのに。避けなければと思っているのに。
いつもは機敏に動ける筈の足は、まるで地面に吸い付いたかのように動いてくれなかった。
ガキン、と金属の打ち合う音が響いた。
「え……?」
呆然としたままだった凛華の視線がしっかりしたものに戻る。
視界に映っていた、鏡の中の自分に見えるような少女の顔が、一瞬歪んだ。
「な……っ!」
驚きのその表情。
どうして、と思った凛華は、自分の傍にいた人を見て納得した。
まるで彼女を庇うかのようにして剣を構えていた人。後ろ姿しか見えなかったけれど。凛華は、その銀色の髪を持つ知り合いは一人しか思い当たらなかった。
「……セ――」
彼の名前を口にしようとし、凛華ははっとして口元を抑えた。こんなところで名前を呼んではいけない。とっさにそう思った。
セシアは振り返らない。
ただ襲撃者を醒めた目で睨み付け、それからふっとにこやかに笑った。造りものような、冷ややかな笑顔だった。
剣を持つ手に力を込め、セシアは凛華によく似た華奢な少女に声をかける。
「彼女を殺して、成り代わって王城に入り込むつもりだったのか?」
ひんやりとした冷気さえ感じられるような低い声。凛華はいつかテニグで聞いたことのあるような冷めた声に、またびくりと震えてしまった。
その彼の力で押さえつけられた剣がだんだんと後退していく。
剣の持ち主である少女は、きっとセシアを睨み付けた。
セシアの質問にも答えずにその真っ直ぐな瞳を彼に向ける。
けれどセシアの態度は変わらなかった。凛華にひどくよく似た彼女の眼差しにも動揺を見せない。
「どれだけ髪色を似せても彼女の瞳だけは似せられない」
自分に向けて言われた言葉ではなかったけれど、凛華は何故だかくすぐったいような気分になった。一般の日本人であれば髪を人工的に染めていなければ、自分のような黒い髪や黒い瞳の人はいくらでもいる。それなのにこの世界では貴重なもののようで、そう言われるのは何だか恥ずかしい気がした。
そんなことを考えている場合ではないと気を引き締めた彼女の前で、剣がはね飛ぶ。飛んだのはセシアのものではなく、凛華に似た少女のものだった。
がしゃんと重みのある金属音が凛華の耳にも届く。
「『預言された少女』を殺せ、と君に命令したのは……ティオキア王だろう?」
剣をはねとばされた少女の首に剣を突きつけてセシアが穏やかに尋ねた。尋ねたというよりは、確信があるので確認に近い。
少しでも動かされれば皮膚が切れてしまいそうなその状況に少女は慌て、睨むのをやめて代わりに口を開いた。
「……わたしに、剣を向けるの?」
凛華に似た声、よく似た上目遣いの表情で少女がセシアを見た。
何度も「本物」を観察し続けた。宮廷女官として王宮に侵入して、ずっと様子を窺っていた。国王はこの表情に弱いのだとも知っていた。
だから。だからこの表情をすれば────
「いくら本人に似せても、それは所詮偽物でしかない。わたしはイミテーションは嫌いなんだ」
けれどセシアは剣を彼女から離すことなく、淡々と述べた。
彼の何よりも大切な人と姿を同じにした。
元々身体つきは似ていたし、瞳も黒に近い焦げ茶色。あとは、髪を黒くすれば。本人でさえも驚くほど似ているのに。
大丈夫だと思っていた。王宮に侵入して「預言された少女」の息の根を止め、そして入れ替わってアルフィーユ国王を殺す。手はずはしっかりとしていたのだ。そうすれば後は自分は髪を戻してジェナムスティに帰るだけで良い。たくさんの報酬と、王宮での地位が認められる。
大丈夫だと。剣など向けられるはずがないと思っていた。ためしに近づいてみた王宮の騎士は、自分が「預言された少女」ではないと気付きもせず、にこにこと笑っているだけでこれっぽちも疑わなかったのだから。
優しげな視線を彼女に送っていたこの国王に剣を向けられるとは。
これでは計算外だ。
少女がじりじりと後ずさった。
計算外にも程がある。
セシアは前へ進み出て、彼女の黒っぽい髪を軽く掴み、それを引いた。ふわりと黒い髪の下から短く茶色い髪が覗く。
「これで姿はリンカには似なくなった。……で、その声真似もやめてもらおうか」
柔らかく脅しをかけるセシアに見つからないように、少女が彼にはね飛ばされた剣に手を伸ばそうとした。
それに気付いた凛華がとっさにパシッと剣を拾い上げる。
そのまますっとその剣を構えた。拾い上げた剣まで、自分がセシアからもらった剣とそっくりだった。
「……怖いから、やめてよね」
すっかり自分を取り戻した凛華が怒ったような表情で言う。
自分にそっくりな少女に襲われたら、怖い。どちらが本当の自分なのかが分からなくなってしまいそうだから。
少女が行動を起こそうとした瞬間。
騒ぎを聞きつけた騎士たちが街道を抜けて走ってきた。セシアがすっと騎士に顔を見られないように身体の向きを変え、帽子を深く被る。その仕草はごく自然だった。まさかこういったことに慣れているのだろうか。
「何事だっ!?」
怒鳴りつけ、顔だけはそっくりな二人の少女を見て、騎士は目を見開いた。
一人は剣を構え怒りの表情を浮かべている少女。そしてもう一人は足を引きかけ、今にも走りだそうとしていた少女。
「いきなり襲われたんです」
凛華が駆けつけた騎士にそう言うと、彼は凛華の瞳の色に気付き、同僚に「隊長にお知らせしろ!」と叫んだ。どうやら騎士隊に所属していた騎士らしい。同僚の騎士たちはあたふたと走っていった。
「リンカさまに剣を向けるとは……っ!」
茶髪の少女を部下に捕らえさせていた騎士は、凛華の前に進み、膝をついた。
「ご無事ですか?」
「あ、はい。助けてくれた人がいましたから……」
凛華が素直に事実を述べる。
騎士は先ほどから後ろを向いて黙ったままのセシアを見た。
「あの──」
セシアに声をかけようとした騎士を、凛華が止める。恐らくお忍び中であろうセシアが彼にバレたらまずいと思ったのだ。
「……か、彼女は、わたしの知り合いです。えーと……ですから……あ、後は宜しくお願いしますねっっ!!」
慌てきった声で彼に言葉を押しつけると、凛華はセシアの手をとってその場から逃げた。逃げるが勝ちである。
騎士が、手を伸ばしたまま固まる。
「彼女? ……あ、あんなに背の高い女が……いるのか? お、俺よりも高くて背中が広い……」
自分よりも「彼女」の方が体格が良いことにショックを受けつつ、騎士は同僚と共にジェナムスティからきた襲撃者をつれて、自分たちの騎士隊に戻ることにした。
とてもショックだ。
さらさらの銀髪。
すらりと伸びた背。
広い肩。
あれが、女性?
よくよく思い出してみれば腑に落ちないが、ああでも「預言された少女」が言ったことなのだ。嘘であるはずがない。女性だと思いたくないだけなのだ。男としてのなけなしの自尊心が傷つけられるから。うんそうだ、そうに違いない。
「おい、どうした?」
うんうんと一人不気味に頷く彼に、同僚は奇妙な表情を浮かべて尋ねた。
「いや……俺、もっと栄養のあるもの食べた方がいいかもしれない……」
「は!?」
いきなり何事だ。
「負けた……っ!」
「はあっ!? 何だそれは。誰に負けたんだ?」
どうやら騎士隊に所属している正騎士と言っても、少々思いこみが激しいようである。
街道をセシアの手を掴んだまま人の流れに逆らって早足で進んで凛華は、流れから抜けてやっと止まった。
危機一髪だ。なかなか自分のフォローも上手いものだと凛華が思っていると。
「はは……っ!」
笑い声が聞こえてきた。
凛華が驚いて振り向く。
セシアが笑っていた。彼が口元に笑みを浮かべているのは何度か見たことがあるが、こんな風に笑っているのは初めて見たかもしれない。
「な、何……?」
笑い続けていたセシアはごめんごめんと苦しそうに謝ってから笑いを収めた。
「俺って女に見える? 体格からして無理がある。あの騎士、絶対に信じてないよ、リンカの言い訳……。本当に、リンカって……滅茶苦茶だな……」
滅茶苦茶だと言っているその表情はとても柔らかくて。
かあっと凛華の頬が赤くなった。
彼の笑顔は綺麗だ。愛想笑いとして浮かべていた笑顔も確かに秀麗ではあるのだが、こうして笑っている方が人間味があって良い。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない……っ!」
笑わなくてもいいではないかと言って非難しておきながら、彼がこんな風に笑ってくれたのが、とても嬉しかった。
何だか少しだけ彼に近づけたような気がした。
「あ、リンカ。こちらでしたか。……あら、陛下?」
凛華とセシアがとりとめのない会話を交わしながら笑っていた時に、服の裾を揺らしながらベルが現れた。その息が全然乱れてない所を見ると、結構のんびり探していたらしい。
「ベル!」
友達と再会できて嬉しそうに笑う凛華を見てから、セシアが口を開いた。
本題を今思い出したようだ。
「リンカ、フェルを見なかった?」
「王女を……?」
凛華が首を傾げる。ベルを探していて、あの襲撃者が現れて、慌ただしかったからフェルレイナは見ていない。
彼女がベルの方に視線を向けるとベルが「拝見しておりません」と答えた。
「ありがとう。……見付けたら、夕暮れまでには王城に帰るように言っておいてくれないか? ……全く、お忍び好きの王女も困ったもんだ」
にこりと笑ってそう言うと、セシアは手を振ってその場から離れた。また、お忍び好きの義妹を探すのだろう。
と言うか、セシアもフェルレイナもアルフィーユの王族なのだ。花祭りは無礼講というのが慣わしなので人々は道行く人にまで声をかけたりする。そんな中を、王族がうろついていていいのだろうか。親しみは持てるが少し心配だ。
自分が国王陛下の心配をしていることが面白くて、凛華はくすりと笑った。
ベルと二人に戻り、大通りをのんびりと歩きながら話をする。
「王女なら……なさっていそうですわね、お忍び」
ベルはくすくすと笑っていた。けれどそれはどこか寂しさを含んだ笑顔だった。
以前王女の侍女をしていたベルは、王女の母である前王妃が亡くなった時に自らその職を辞したのだという。それまではとても仲が良かったそうなのだが、それ以来一度も言葉を交わしたことがないのだと、凛華はベルから聞いていた。
そしてそのことをベルがひどく寂しく思っていることも、凛華は知っている。
けれど凛華は努めて明るく尋ねた。
「フェルレイナ王女って昔からそうだったの?」
凛華はベルの笑顔が大好きなのだ。
だから、笑って欲しかった。
「ええ。暇さえあればすぐに抜け出していらっしゃいましたわ」
もう一度くすりと笑って、ベルは空を見上げた。
いつの間にか時間が経っていたらしい。
凛華も同じように空を見上げると、視界に広がるのは朱く染まりだした果てしない空だった。もの悲しく感じるのだけれど夕焼けの空はとても温かい。
空から視線を下ろし、ベルは柔らかく微笑んだ。
「そろそろ王城に戻りましょうか?」
「え、もう?」
ベルから、花祭りは午前零時の神殿の鐘が鳴るまで続くのだと聞いていた凛華はベルの言葉に首を傾げた。まだまだ遊び足りなさそうな彼女を見てベルが笑う。
「王城でも、花祭りはあるのですわ」
その言葉を聞いて、凛華も笑った。
やっぱり、笑っている方が嬉しい。