「え、いいの!?」
まるで新しい玩具を手にいれた子供のように喜ぶ凛華の声に、ベルは微笑みながら頷いた。
「ええ。今日からは好きなように動いて下さって結構です。治療師さまもそう仰ってましたわ。お薬の方も昨日で最後です。但し、くれぐれも気をつけて下さいね」
それを聞き終わるが早いか、凛華は満面の笑みを浮かべた。
お許しが出たのだ。
今日は王都の方まで出て行ってもいいと。
「夕方の鐘が鳴るまでには必ずこちらまでお帰り下さいね? その鐘が鳴ってしまってからですと、城門を抜けるのにものすごく時間がかかってしまいますから。リンカの身元はすぐに調べられるのですが、決まりですので……。それと、絶対にアルフィスから出てはいけませんわよ。王都でしたら暴挙を働くような人はほとんどいませんし、いても巡回騎士たちがいますので万が一危ない目に遭いそうでしたら大きなお声で助けをお呼び下さいね。一人で対処しようなんて思っちゃ駄目ですよ。それから……」
「無茶をするな、でしょ?」
ベルの言いたかったことを先に口にして凛華はくすりと笑った。
驚き、それから「ええ、正解です」と赤銅色の目を細めて笑うベルに、凛華は「行ってきます」と手を振った。
初めてだ。
アルフィーユに来てもう大分月日が経つというのに、たった一人で王都へ出かけるのはこれが初体験である。
今日の凛華は、ふんわりと裾の広がる膝までの白いスカートに、日本で着ていたキャミソールによく似た作りの濃い桃色の服を着て、その上から厚めのシャツを羽織っている。そして更に、深めにかぶることのできる帽子をかぶっている。帽子の中で髪を束ねて、不自然にならないように整えてくれたのはベルだ。全く黒髪を隠せているわけではないのだが、かぶっていないよりはましだろう。
下手に全部隠してしまうよりかはこの方が自然で目立たないのだとベルが教えてくれた。多少黒髪が見えていたところで、髪色が気になるからといって帽子を剥ぐような者はいるまい、というのである。
花形の飾りをあしらった少しかかとの高いサンダルに足を遠し、凛華はしまってあった銀色の鳥笛を唇に当てて息を吹き込んだ。
いつも不思議に思う。自分にはまったく聞こえないこの音が鳥たちには聞こえるなんて。
しばらくすると羽音が聞こえ、馴染んだ白い鳥が凛華の肩にとまった。
『リンカ、どうしたの、今日は可愛い格好だね。どこか行くの?』
珍しい彼女の格好にティオンが尋ねる。
「うん、アルフィスだけなら自由に歩き回っていいって。ティオンも一緒に行かない?」
笑顔を浮かべて答え、凛華はティオンに頬をすり寄せた。温かい羽毛がとても気持ち良い。ティオンは凛華の笑顔を見て少し寂しそうな顔をしたがすぐにそれを消して「行く」と答えた。
私情をはさんではいけないことは分かっている。
これ以上傍に居てはいけない。契約の対象として見ておかなければいけないのだ。
けれどどうしても、凛華の傍にいたかった。
大通りで商売をする者や生活をする者たちで賑わう王都アルフィスにおいては、凛華の存在は少し異質だった。帽子で髪を隠しているとはいえ完全というわけではない。正面から顔を見ればその漆黒の瞳も見えてしまう。
その姿は凛華が嫌でも目立ってしまった。
良い意味で、だが。
そしてティオンに向ける笑顔は人の目を惹きつけた。若い男性などは凛華に声をかけるのだが見事に玉砕していたりする。たまにしつこい輩もいたがその時はティオンがその鋭いくちばしで鉄槌を下した。
「すごいねえ、ティオン。王都ってこんなに活気があるんだ……」
人気に当てられたように額に手を当て、凛華は呆然と露店街を眺めた。
王城内の静かな雰囲気とは全く違う。
人の街だった。その賑やかさは不快なものではなくむしろ心地よくさえあったが、人混みに慣れない凛華は早々にばててしまった。どこかで休憩でもしようと、周りと見回す。
「……お腹減った……」
『ご飯にしたら?』
「うん、そうする」
よしあそこにしよう、と何の根拠もなく初めに目に付いた店を選び、凛華は真っ直ぐにその店へ向かった。
「うわあ……」
お昼時のその店は人で賑わい、香ばしい料理の匂いが鼻をくすぐる。
あてずっぽうに選んだのだが自分の勘は間違ってはいないなと凛華は思った。この店は雰囲気が良い。
「いらっしゃいませー」
人の良さそうな店員に鳥を連れていても大丈夫かとまず尋ね、飛び回らないようにするなら、と了承をもらったので、席に案内してもらう。窓際の明るい席だった。食べ易そうだと直感的に感じたものを注文してから凛華はふうっと息をついた。出された冷たい水が喉を滑り落ちていく。
適度に混んでいたので料理が出てくるまではしばらくかかりそうだなと判断した凛華は、横を向き、窓から見える大通りの様子を眺めることにした。
通りの向こうからじっとこちらを見ていた小さな女の子と目が合い、凛華はひらひらと手を振った。すると女の子は照れたように顔を赤くし、手を振りながら走り去ってしまった。そういえば以前にも似たようなことがあった。
「……かわい」
口元に手を当ててくすくすと笑う。
王宮には年上の女性が多く、年下ならフェルレイナがいるのだが、彼女とはあまり親しくない上に年齢が近すぎる。だから滅多に年の離れた小さな女の子は見ないのだ。
先ほど走り去った女の子は、王都に住んでいる人の子供だろうか。
「ここ、空いてますか?」
「あ、はい。どうぞ」
かけられた声に横を向いたまま答え、凛華はそれからやっと前を向いた。
彼女に話しかけた相手が目の前に座る。
「ありがとう」
「いえ……ぇええっ!?」
なかなか奇妙な声をあげてしまった。
目の前の人物を何気なく見た凛華は気付いてしまったのだ。目深にかぶっていた帽子からちらりと見えた端整な顔に。
相手が慌てて凛華の口に手を当てる。それから人差し指を唇にあてて笑った。声を飲み込んだ凛華がこくこくと頷き、相手が手を離す。凛華のあげた珍妙な声が店内の人々の視線を集めていたが、少しするとその視線も消えていき、二人は揃ってほっと息をついた。
混んだ店ではあまり声が周りに聞かれないことを悟った凛華は、それでも小さめの声で声をかけた。
「ど、どうしてこんなところにいるの?」
居ていい筈がない。
こんなところに――国王陛下が。
「俺が遊ぶのはおかしい?」
にこりと爽やかな笑みを浮かべた国王陛下、セシアが言う。
凛華は首を傾げてしまった。
「おかしくはないけど……セシア、お仕事は?」
単純な疑問を口にする。
彼は多忙な国王だ。こんなところで昼間から出会うような相手ではない。
凛華の疑問に対して、セシアは海よりも深い青い瞳を面白そうに細めると、さらりと言ってのけた。
「国王だってお忍びくらいするよ」
つまり。
この国王陛下は国にとって大切なご政務をおさぼりになられたのである。
しばらく呆気に取られた後で凛華はぷっと吹き出して笑った。
「いつもこんな事してるの?」
「まさか。いつもじゃない。たまにだよ。あんまり怠けると後からアイルにどやされるから」
「……アイルさん怒ってそう」
オレンジがかった鋭い瞳の副官を思いだして凛華はぽつりと呟いた。
うん。彼はきっと怒っているだろう。それはもう、静かに静かに怒っているのだ。
怒鳴り散らされるよりもそちらの方が余程怖いだろうなと凛華は思った。
「でもフェルの方がお忍びは多いよ?」
セシアが肩を竦めながら言う。何やら言い訳がましい台詞だ。
「そうなの?」
「そう。気付いたら部屋にいない。多分、フェルは俺よりも抜け出すのが上手い筈だ」
いや、上手下手の問題でなく。
いいのだろうか。王族がそんな簡単に王都に出て。
茶色の三つ編みを揺らして無邪気に笑っていたアルフィーユ王女を思い出す。
前にベルから聞いた事があった。
フェルレイナはベルが以前侍女として仕えていた主なのだと。
前王の第二王妃が病死した時に哀しい事があったらしいのだが、今のベルが笑っているので、凛華は気にしないようにしていた。本当はフェルレイナを見るたびにベルが少し哀しそうな表情を浮かべるのを知っていたけれど。
そしてその王女がよくお忍びで街に出ていた事に驚く。
王族も結構お茶目なのだと、凛華は妙な所で感心した。
凛華は知らない。
アルフィーユの国王陛下は、ただ単に城から抜け出したわけではなく凛華を見付けたから抜け出したのだ。
仕事中の、大量の書類を放り出して。
いつも政務に追われてまともな休日などないのだから、これくらいで咎められる謂われはない。それに今日中の仕事は午前中に仕上げてあるのだ。
凛華にお茶目だと思われていることには全く気付かず、セシアは静かに笑った。
どうせ帰ったらアイルや口うるさい文官たちにどやされるのは必至だ。同じ怒られるなら、充分に遊んでからにしよう。
芳ばしい香りを漂わせて、店員が凛華とセシアに料理を運んできた。
凛華がいただきますと手を合わせる。それを少し眩しそうに見てから、セシアも同じようにいただきますと呟いた。
「おいし」
凛華が嬉しそうに笑う。幸せそうな笑顔を見てセシアも微笑んだ。
「ティオン、食べる?」
凛華が傍に止まっていた真っ白い小鳥に尋ねる。
『いいよ。リンカ、お腹空いてるでしょ?』
特に機嫌の悪そうな声でもなく、かと言って特別機嫌が良いと思えるような声ではないティオンの声。
もしかしたら自分に気を遣っているのかもしれないと思った凛華は、重ねて尋ねた。
「でも……ティオンはお腹空いてないの?」
『いーのいーの。それに……リンカと陛下見てるだけで面白いから。それで充分』
最後にティオンがふざけて言うと凛華が焦った。
セシアの目の前でそんなことを言われるとは。
だがセシアには、ティオンの言葉はただの鳴き声に聞こえるのでただ首を傾げるだけだ。それに気付いて凛華はほうっとため息をついた。
「ティオンー。変なこと言わないでよ」
『別に変じゃないと思うけど』
からかうようにティオンが笑い、凛華は少し頬を膨らませる。
「どうかした? リンカ。ティオンは何て?」
「な、何でもない!」
セシアに聞かれて慌てて答えると、凛華はごまかすように料理を口にした。その傍ではティオンがくすくすと笑っている。
何気ないやりとり。凛華はこういう雰囲気が好きだ。
王城で最高の料理人が作る料理が美味しくないとは言わないが、こういった所で食べる方が美味しく感じられる。
わたしってば庶民的だと内心で少し笑ってから、凛華は料理をまた口に運んだ。
「おいしかったー」
んーと伸びをして凛華が満足げに言う。そんな彼女を見てセシアは穏やかに笑った。
彼女のこういう表情はとても自然で、柔らかい。
城に帰った後で、アイルに仕事を押しつけられるのは目に見えているけれど。こんなに楽しそうな凛華を見ることができたから満足だ。
普段身体を動かすことはよくするのだが、こうやって街に出て遊ぶのは久しぶりかもしれない。昔は義妹のフェルレイナとよくこっそり城を抜け出した(そして、よくアイルに見付けられた)。
国王になってからは確か今回で二回目だった。たまにと凛華には言ったけれど、あまり「たまに」という頻度ではない気がする。
一回目は、父王と義母が亡くなった後、即位してしばらくした頃だ。
政務のほとんどはアイルや大臣たちが行っていたとは言っても、たった十六の自分に降りかかったものはあまりにも大きく、けれど、ジェナムスティとの戦争を鎮める事で精一杯だった人たちに弱音を吐くわけにはいかなくて。
平静を装い続けた。そうやってただひたすら政務をこなしていて、だんだんと疲れを溜めていった。その疲れが頂点に達した時、政務の隙にそっと城を抜け出したのだ。
思いきり遊んで。歩いて。普通の子供みたいに遊び尽くした。
太陽が沈んでからやっと城に帰ると、執務室にいたのはアイルだった。
鋭い瞳のその人に怒鳴られるかと思いきや。
『次に行かれる時はせめて陽が沈むまでに帰って来て下さいよ、新王』
遊ぶのを容認しつつも「新王」を強調して言う辺りが彼らしい。
セシアは苦笑して素直に謝った。
『肝に銘じとく』
それから、時折アイルが休憩を勧めてくれたりするのだが、セシアは一度もお忍びで城下に出かけることはなくなった。
王都へ出かけるのは仕事の時だけである。アイルと何人かの文官や騎士とともに、視察で。そしてそれは国王の仕事であるから、珍しいものを見て回ったりとか、美味しいものを食べ歩いたりということは全くない。
周りの大人たちも、国王はそうするものだと考えていた。
セシアが子供らしく遊ばずに大人びた国王になったのは、そんな周りの考えが影響したからである。
国王に余計な娯楽はいらない。ただ良き国王としてい国を治めていれば良いのだ。
所詮国王など、色々なものに縛り付けられたものでしかない。
そんな生活を続けていたセシアとしては、こんなにも嬉しいことはない。
凛華は文官たちのように仕事をしろと強制するわけではなく、ただ純粋に一人の人間として振る舞ってくれるのだ。
それがどれだけ嬉しいことか、彼女はきっと知らないだろう。
何百年も前とは違って、アルフィーユはそれほど階級が厳しい国ではない。以前ならば政府の高官はほとんどが貴族たちで、一般人出身の者など数え上げるのにそう手間取らないほどだった。
だが今では、第二騎士隊長のロシオルは辺境の街出身の一般人だし、その妹のベルだって貴族の令嬢や豪農の娘に混じって宮廷女官として働いている。調理場総監督のセーガやその息子のシエルは元々王都の商人の一族だった。アイルはアルフィーユでも高名な貴族の出だが、貴族ぶったところなどどこにも感じられない。大体彼は仮にも国王であるセシアと呼び捨てにしているではないか。
それでも国王の周りの者たちは、国王を一人の人間としては見ていない。
国王自身ではなく、国王という枠を見ているのだ。
顔が変わっても何の問題もない。ただそこに国王という存在が居れば良いのだから。
けれど。
凛華は、セシアを国王としてではなく、当然のように一人の人間として見てくれている。
彼女が居た世界がどんなものだったのかセシアは知らないが、凛華からすれば当たり前のことだった。「お偉いさん」と呼ばれる人々はいたし、余所の国では国王と呼ばれる存在はいたが、それでも凛華は人間に生まれつきの階級はないという国で育ってきたのだ。
本当は彼女だけが特別なのではないが、このアルフィーユでそのような考え方をするのは凛華くらいだった。
彼女は見返りを求めない。本当に真っ直ぐで純粋で。
ずっと傍にいたいと、願ってしまう。
考え事をしていたセシアはふと、凛華が立ち止まっていることに気付き、視線をやる。
「綺麗……」
凛華が足を止めたのは装飾品の露店の前で、彼女の視線は、綺麗に細工された商品の中でも青い石のついたイヤリングに釘付けだった。
宝石が好きという性格ではないが、凛華は綺麗なものは素直に綺麗だと思う。
何故だろうか。それほど華美ではないのに。銀の金具に透けるような青い雫型の石がついているだけなのに。他にももっと華美で素晴らしい装飾品はたくさん並んでいるのに。何故だかそれはひどく彼女の注意をひいた。
「どれが?」
ひょいと彼女の横からセシアがのぞき込む。
王宮で見られるような、普通の市民からすれば目が飛び出るような値段のものではない。露店で売られているそれなりに安価なイヤリング。
けれどそれは可愛らしさがあって。
凛華に似合いそうだなとセシアは思った。
義妹はピンクやそういった色が似合うが、凛華は何でも似合うような気がする。髪も目も色が黒なので、相性の悪い色というのがないのだろう。この青い宝石も例外ではなかった。
「これ、下さい」
凛華はただ単に目を惹かれたものを綺麗だと見ていただけなのに。
セシアがそれを指さし、露店の店主にそう言ってしまった。
違う。そんなつもりで見ていたのではない。
誰かに買ってもらいたくて見つめていたわけではない。
凛華が慌ててセシアを止めようとする。
「い、いいよセシア! そんなつもりじゃ……っ!」
そんな風に思われたくない。理由はよく分からないけれどそんな思いがよぎり、凛華は必死になってしまった。
だがセシアは気にした様子もなく、にこりと彼女に向かって笑いかける。
「大丈夫だって。俺に買わせて?」
何だか嬉しそうな笑顔で、そんなことを言われてしまったら。
「そうそう、お嬢さん、男の顔立てなきゃだめだよ」
なんて、にっと笑った店主に言われてしまったら。
凛華はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「税金は使ってないし」
こそっと凛華にだけ聞こえるように耳元で言われる。
耳をくすぐる息に凛華はぱっと頬を染めた。
「お、なんだ、新婚か〜〜?」
やけに親近感の湧く態度で店主がからかう。セシアはふっと笑ってそれに答えた。
「まあね」
違う。全然違う。新婚夫婦ではない。
顔を赤くして突っ立っている凛華は口をぱくぱくとさせるだけだった。
「いいねー」
「はい、これ代金」
これ以上詮索される前にと、セシアが金の硬貨を渡す。
それから、何も言えないでいる凛華の手を取って通りを歩き始めた。
「し、新婚って……!」
「言葉のあやだよ。むきになって否定する方が不自然だからね」
あまりにも純粋な反応を見せる彼女に笑いかけ、イヤリングを彼女に渡す。
「大丈夫。どうせ俺だなんて気付かない」
「そういう問題じゃなくて……っ」
「……いらない?」
「…………ありがとう……」
結局は受け取ってしまった。そんなつもりで見ていたのではないけれど。
それでも何だか嬉しくなって。
凛華は胸元でイヤリングをしっかりと握って、頬を赤くしたまま笑った。太陽の柔らかな光を受けて輝く、綺麗な笑顔で。
そう言えば久しぶりだ。こうやって遊ぶのは。
凛華はアルフィーユに来てから何かと様々な経験をしていたが、誰かとこうして遊ぶのはとても久しぶりだった。
ものすごく楽しい。視線を横にやれば人がいて。一緒に話して、食事をして、並んで歩く。そんなささいなことが凛華にとっては貴重で何よりも楽しい遊びなのだ。
そしてそれだけでなくセシアの意外なところまで発見してしまった。ずっと完璧なだけの国王だと思っていたが、そんなことはなかったのだ。誰にでも息抜きは必要なのである。極めつけには、こんなイヤリングまでもらってしまった。
「……あ」
ふと気付く。自分はこうやって食事に付き合ってもらって、しかもイヤリングまでもらってしまって。
彼は、息抜きをできたのだろうか。
楽しそうな顔をしていたけれど、内心では疲れていたのではないだろうか。
ぴたりと立ち止まる。
少し前を歩いていたセシアの手はもう離れていたので、声をかけるしかなかった。
「セ、セシア……」
「なに?」
わざわざ彼も足を止めて振り返ってくれる。
もし自分がいるせいでこんな余計な気遣いまでしているのだとしたら。
「えっと……その……」
だめだ、言えない。
もしセシアが、一人の方が良かったと言ったりしたら。
怖い。否定されたら、怖い。
しばらく何も言わないで凛華は俯いた。
セシアは、気分でも悪いのかと少し心配そうに近付いて彼女の顔を覗き込む。
途端にぱっと彼女が顔をあげた。その顔に浮かんだのはぎこちない笑顔。
「そろそろお城に戻ろっか?」
「……そうだな。そろそろ戻ろうか。アイルがきっと怒ってる」
何でもないかのようにセシアも笑った。
楽しい時間は、いつか終わる。
二人でアルフィーユ城へと向かいながら、セシアが急に隣を歩く凛華に話しかけた。
「久しぶりに息抜きできたな。リンカ、もしかして他に行きたい所でもあった? そうだったら悪い事したかな」
その言葉に凛華が目をぱちぱちとさせて驚く。
息抜きができた。ということは、自分は一緒にいても大丈夫だった。
安心したせいか自然と凛華の顔に笑顔が浮かぶ。
「ううん。行くところなんて決めてなかったから、セシアがいて楽しかったよ」
最後にそう言った凛華に他意はないのだが、セシアはその台詞に頬が緩みそうになる。今日は良いことがありすぎだ。彼女の照れた表情も本当に嬉しそうな表情も、こんな言葉でさえももらえたのだから。
こうして預言された少女と、敏腕国王陛下はお互いに機嫌よく帰城したのである。
まさかお忍びで城を抜け出した王が堂々と城門から入るわけにはいかないので、凛華は王城の近くでセシアと別れた。
どうするのかと聞けば、彼はただにこりと笑うだけだった。抜け出し方は秘密らしい。
丁度正門をくぐった時、背後で鐘が鳴った。時間もばっちりだ。
凛華は肩に乗るティオンと喋りながら螺旋階段を登り、自分の部屋に戻った。
「お帰りなさいませ、リンカ。……あら、何か良いことありましたか?」
部屋に入ってきたベルが機嫌の良さそうな主を見てそう尋ねた。彼女はくるりと振り返って唇に人差し指を当てる。
「ナイショ」
茶目っ気たっぷりの笑顔だった。
そして、その後でベルは赤銅色の瞳を細めながら「ずるいですわ」と楽しそうに言った。凛華が笑っていると自分まで嬉しくなるから不思議だ。
その翌日。セシアが政務室から出て来る事はなかった。
廊下でアイルに会い、凛華が尋ねてみると側近殿はふっと笑って一言。
「サボった罰です」
凛華は、少しだけお茶目な王様が可哀相になった。