勝敗はその後まもなく決められた。
 非力そうな凛華を狙って何度も剣が振り下ろされたが、彼女は彼らの期待を裏切り全ての攻撃を何とかかわした。最強騎士の速すぎる動きに目が鍛えられていたので、彼らの動きについていくことができたのだ。大切なことは最初の一撃をかわすこと。ロシオルの教え通りに身を引き、時には屈んで、一撃をかわし、あとは反撃に徹する。
 剣を握り始めてまだ日の浅いので巧みな剣術とはほど遠かったが、それでも凛華ほどの腕前でも重い剣を自己流に振り回していればそれなりに攻撃はできる。
 ほとんどはセシアとロシオルが倒してくれたこともあり、凛華はほんの二、三に対処すればよかった。

 砂埃と手首足首の血と、そして攻撃した際のわずかな返り血で汚れた自分の服をぱたぱたと叩く凛華の前には、最後に倒した大柄な騎士が一人、うめき声をあげて震えていた。
 気が立っていたためかなり手荒に切り込んでしまったが、不思議と後悔はなかった。
 人間は本能的に争いを好む生き物なのだと、これもロシオルから教えられたことなのだが、あながち間違ってもいない、と凛華は初めて思った。
 あれだけ非暴力を訴えていた自分だって、自身を守るためなら他者を傷つけることだって厭わないのだ。

「リンカ、怪我は?」
 ロシオルの問いに、凛華はゆるく首を振った。
 何とか攻撃をかわしたので、剣による傷は一つも負っていない。ひやりとする場面もあったが、服が破れた程度だ。
 それでも枷による傷で、手首だけはひりひりと痛んだ。血はもう止まったようだが少し手首を動かすだけで傷口が開き、ぴりっとした痛みが走るのだ。
 首を振った彼女のわずかな表情に気付いたセシアは彼女の手首を取り、それから自身が身につけていた服の、薄布部分を裂いた。その行為に驚いている彼女の手首にその布を巻き、端を結ぶ。
「痛いだろうけど今はこれだけしかできない。……ごめん」
 ぶんぶんと、今度は勢いよく首を振る。
 確かにまだ痛いけれど。優しさが、温かい。
「急ぎましょう」
 脂を拭き取り剣を収めたロシオルがセシアに向けてそう言った。
「ああ」
 セシアが凛華の手を取る。ちくりと手首が痛んだが、また手に温かさが戻ってきたので凛華は嬉しそうにその手を握り返した。


 煉瓦造りの塔を出る。
 辺りは先ほどまでいた部屋と変わらないほどに暗かったが、久しぶりに吸う外の空気を凛華は思いきり吸い込んだ。体の隅々まで冷たい空気が染み渡っていくようだった。
 そこであることを思い出し、セシアの手を引く。
「どうかした?」
 振り返り、そう聞いてくれるセシアに何か言いたげに凛華が手を動かす。
 それからふと思いついたように持っていた剣を抜いた。セシアとロシオルが見ている前で、凛華は地面に文字を刻んでいく。
『ちょっと待ってて』
 不思議そうな表情を浮かべる彼らにそれ以上は何も言わないで、凛華はセシアから手を離すと塔の入り口へと歩いて行った。
「リンカ」
 危険だからと止めようとしたロシオルを肩越しに見て小さくにこりと笑う。

 大丈夫だと、笑った。


 しばらくして凛華は、小柄な少女と灰色の髪の騎士と共に出てきた。
 アルとディーンだ。
 ディーンの方はどこかふらふらとしていて、先ほどの凛華と同じく足下がおぼつかないようだった。こめかみあたりに見える赤黒いものは恐らく彼の血だろう。アルに支えられて何とか歩いている状態だった。
「っ……ディーン!」
 ロシオルが低い声で呟いた。
 凛華を攫い、声までなくさせた張本人。
 剣の柄に手を当てたロシオルを見て、ディーンは唇を歪めると大きく傾いだ。慌ててアルが支えようとするが、小柄な彼女に大の男性を支えきれるはずもなく、ディーンは前のめりに倒れ、アルもその場に膝をつく格好になった。

 両手を動かしてロシオルを制した後で、凛華はアルをディーンから遠ざける。そして、持っていた剣を彼に向けた。
 息を呑んだアルは目を瞑り、顔を背ける。凛華がディーンを殺すのだと思った。
 けれど、彼女の行動はそうではなかった。
 がしゃんと音がしてディーンの手についていた枷が壊れて転がる。凛華の手を縛めていた枷と同じものだった。
「!?」
 驚くアルに、凛華が手を差し伸べる。声は出なかったが、口をぱくぱくと動かした。
 一緒に来るかと訊いたのだ。
 彼女はしばらく逡巡し、はいと頷いた。
 元々彼女はディーンたちにここに連れて来られた者で、決して彼らの仲間ではなかった。
 自分が握っていた剣を丸腰のままのディーンの傍に置いてから、凛華はアルの手を取ってセシアとロシオルのいる場所へと戻った。


 自分を攫った騎士に何もしない彼女。
 ロシオルは少し不思議そうに凛華に尋ねた。
「あれで良かったのか?」
 凛華はこくんと頷くと黒い馬に近付いてぽんぽんと軽く背を叩いた。その直後に彼女がちらりと笑顔を覗かせる。動物とは言葉がなくてもコミュニケーションを取ることができる凛華なのだ。きっと、久しぶりの動物との会話を楽しんでいるのだろう。

 セシアとロシオルは眉をひそめた。

 こんなにもひどい目に遭わされて、それでも凛華は笑う。
 本当に大丈夫なのか、それとも無理に平然を装っているのか。

 けれど、セシアもロシオルも、保護の対象あるいは弟子としてしか彼女を知らないので、今の彼女が何を考えているのか推し量ることはできなかった。それほど深い仲ではないのだから当然のことである。それは多分、ベルやリーサーも同じだ。
 この少女は、人間に対しては誰にも気を許していないのだ。
 これまではまだ周りにありありと分かるような態度は見せなかったけれど、今回の事件ではっきりとした。
 控えめな笑顔と人当たりのいい態度。誰に対しても平等に振る舞う。それは裏返せば、誰をも拒絶しているのと同じなのだ。
 明るく無邪気に見える彼女が抱えているものは、果たしてどれだけ重いものなのだろうか。




 一頭にセシアと凛華、もう一頭にロシオルとアルが乗った。
 人間を二人も乗せているので大した速度ではない。
 断続的でゆるやかな揺れが疲れた身体には気持ちよく、凛華は自然と目を閉じていた。
 横座りしている彼女が前のめりになるのを、起こさないようにそっと抱え戻し、セシアは馬を進めた。
 彼女が殺されない内に取り戻せたことにはほっとするが、早く帰ってジルハと交代しなければならない事を思い出し、彼女から視線を外して前を向いた。



 一日半かけてジェナムスティの国境を抜けた辺りから、馬の足が遅くなった。
 さすがに二人乗りの上に連続で走らせ続けたので疲れたのだろう。
 仕方ないのでセシアとロシオルはそこで一度休む事にした。
 馬を木につなぎ、この一日間、全く起きそうにない凛華と、うつらうつらし始めたアルを木の根元に降ろして自分たちの外套をかけてやる。アルは起きていようと眠気と闘っていたが、少しするとやはり疲れたのか寝息を立て始めた。

 幼いなとロシオルは思う。自分の弟子も、あの塔に同じく連れられて行ったという少女も。
 二人ともまだ成人を済ませていないほどの子供なのだ。それなのにあんな薄暗い塔の中で過ごすことを強制されていた。弟子に至っては声までなくしてしまっている。
 ロシオル、と楽しそうに話すのを見たかった。
 鬼師匠だと頬を膨らませながら言っていた彼女。あの時はあんなに笑っていたのに。
 今の彼女はどこか無理して笑っている。心配されたくなかったからなのか、それとも声までなくした恐怖からか。

 ぎこちなく笑う彼女。
 聞けない声。


 拾い集めていた枯れ枝をばきりと折り、ロシオルはため息をついた。
 とにかく無事だったのだ。それで良いではないか。
「……これくらいでいいか」
 考えごとをしている内に両手いっぱいになっていた枯れ枝。どうやら自分は考え出すと他のことに気が回らない性質らしい。
 苦笑して、ロシオルは凛華たちのいる場所へと足を向けた。木を目印にしていたので迷いはしなかった。遠くからでもよく分かるセシアの銀髪も見えるのだ。迷いはしない。
 ロシオルから見てセシアという王はなかなかの人物である。
 自分と同い年というのも驚くが、何よりもその統治力。賢王と呼ばれるにふさわしい人物である。

 残党の兵に襲われないようにセシアはその場に残っていた。立てた膝で頬杖をついているその姿は一見国王らしくない。ロシオルは見慣れてしまっているので分からないが、きっと初めて素の彼に会った人は彼が国王だとは思いもしないだろう。
 その彼はじっと凛華とアルを見ていた。
 鋭い王の瞳。それがふと緩み、優しげなものに変わる。
 セシアの手が伸びて凛華の黒い髪に触れた。さらりと零れるそれを手に取り、口づける。すぐに髪は離され元の位置に戻ったが、セシアはしばらく彼女の傍にいた。
 彼の行動を見てしまったロシオルはとっさに木陰に隠れた。

(今の陛下の行動は、まるで……)

 あれは「国王」の「預言された少女」に対する仕草ではない。
 まるで、ただの青年が大切な少女にするような行動。


 まさか。彼は、彼女のことを?


 ロシオルはそこまで考えかけ、こんこんと自分の額を軽く拳で叩いた。国王相手に詮索するなど、不敬極まりない。何をやっているのだ、自分は。
 「見ていない見ていない」と自分に言い聞かせるように呟き、ロシオルは何事もなかったかのように枯れ枝を持ってセシアの元へと戻った。
「ああ、ロシオル。ありがとう」
「いえ」
 小さくなりかけていた火に枯れ枝をくべ、空気を暖める。
 かすかに震えていたアルの震えが止まった。凛華は寒くないのだろうかと窺ってみたが、彼女は寒さも気にならないほど疲労していたのか変わらず大人しく眠り込んでいた。
 夜が明けるまであとどれくらいだろう。
 星を見上げて位置を確認し、時間を計る。
 この分だと凛華たちはまだ眠れそうだなと判断するとロシオルは自らも火の近くに腰を下ろした。だが、眠る体勢ではない。ここで寝るわけにはいかない。国境を越えたとはいえ、ここはジェナムスティの人間が最も近づきやすい地域なのだ。
「陛下、自分が見張っていますので陛下も少しお休み下さい」
 ロシオルから少々離れた場所にいるセシアにそう提案する。
 だが彼は王の顔のまま静かに返事をした。
「いやいい。休みは城についてから取らせてもらうよ」
 そうは言っても彼の予定はめいいっぱい詰まっているのだ。きっとこう言っていても、彼は城に帰ったらすぐに仕事にとりかかるのだろう。そういう国王だ。
「……はっ」
 頭を下げ、ロシオルはそれ以上何も言わなかった。
 夜明けまであと数時間。
 眠気は襲ってきたが、セシアは政務で徹夜は慣れているし、ロシオルも騎士としての訓練で慣れていたのでそう辛くはなかった。

 結局、夜が明けるまで何事もなく時間は過ぎた。



 空が明るくなりだした頃になりアルが目を覚ます。
 最初はここがどこなのか理解できずぼんやりとしていたが、セシアとロシオルを視界に認めると彼女は慌てて頭を下げた。
「おはようございます。眠ってしまって申し訳ございません。ありがとうございました」
「おはよう。……だが、俺に礼を言われても困るな」
 ロシオルが赤銅色の目を細めながら笑った。
 その笑顔に頬を染めながらアルが焦る。本人は気付いていないが、いつも目つきが悪い彼は笑うと愛想がよく見えて親しみやすい感じがするのだ。
 その言葉に、セシアが付け加えた。
「貴女を助けたのはリンカだから……礼なら彼女が起きてから本人に言った方が良い。きっと喜ぶ」
「は、はい」
 アルが振り返ると、当の本人は小さな寝息を立てたままだった。
 一日以上も眠り続けているのに、全く起きるような様子はない。ずっと神経を張りつめて過ごしていたあの塔の中で、凛華はぐっすりと眠ることができなかったのだろう。


 凛華の睫毛がかすかに動いた。ゆっくりとまだ焦点の合わない漆黒の瞳が覗く。彼女はぼんやりと周囲を見回した後、がばりと勢いよく起きあがった。
「おはようございます」
 アルが声をかけると、凛華は彼女に気付き、小さくにこりと笑う。おはようと口に出して言えなかったのでこれが挨拶代わりなのだ。
「あ、えっと……国王陛下と騎士隊長さまはお食事を用意しに行かれました」
 セシアとロシオルがいないことに気付いてきょろきょろと視線をさまわせた凛華に、アルが教える。
 納得したように凛華は頷いた。
「そろそろお起こししようと思っていたのですが……あの、お体の方はいかがですか?」
 その問いに、凛華はきょとんとした表情で首を傾げる。
 セシアに簡単な応急手当をしてもらった手首を見て、足首を見て。空腹を感じる腹に手をあてて、それからアルを見上げてにこりと笑った。取り立てて体調に問題はない。
 が、その直後、凛華ははたと何かに思い至ったようで、立ち上がったかと思うとあたりをうろうろとし始めた。
「あの……?」
 アルが訝しげに声をかけるが、凛華は言葉では答えず、行動で示した。
 焚き火のあたりに落ちていた枯れ枝を拾い、アルを手招きしたのである。
「?」
 見てて、とでも言うように地面を指さし、凛華はその場にしゃがみ込んでがりがりと枝で文字を刻み始めた。
「ああっ」
 何か言いたいことがあったのか、と納得し、アルもかがんで凛華が文字を書くのを見守る。そして、かり、と最後の文字を書き上げ、凛華が尋ねるように首を傾げた。
『血とかほこりとか洗い流したいんだけど、どこかいいところある?』
 数行にわたって書かれた文章を見て、アルは少しの間考えこんだ。
「ええと、……ああ、ありますっ。少し歩かないといけませんが、近くに池がありますよ。ご案内しましょう」
 さも当然、という感じで最後の言葉を言われ、凛華は生きた人間扇風機と化した。
 あまりにも慌てて首を振るので、アルは小さく吹き出してしまい、直後「申し訳ありません」と急いで謝った。


 アルに何度か汗を拭いてもらっていたとは言え、それでも何だか気持ちが悪い。
 自分の袖口に鼻を近づけ、血と汗の匂いに顔をしかめながら凛華はてくてくと歩いた。水の匂いをあてにして、とりあえず血を洗いながせるくらいであれば、と思っていたのだが、たどり着いた先の池は予想以上に綺麗だった。池というよりは泉という方がイメージに合う、とのんびりと心の中で感想を述べる。
 一応辺りに誰もいないことを確認してから、凛華は服に手をかけた。
 ひんやりとした水に驚きつつ、水の中に体を沈める。
 野外で服を脱いでいるということが何だか後ろめたく、せかせかと汗や血などを洗い落とした。水が気持ちよくてつい髪まで洗ってしまったのだが、そこから上がろうとして、凛華は重大なことに気付いた。

(……拭くものがない!)

 今更その事に気付いた間抜けな自分に情けなくなりながら、凛華はさてどうしようかと首を傾げて考えた。
 だが残念なことに何も考えが浮かばない。いっそ濡れたままで服を着てしまおうか。そんなことを考えた時、上空から声がした。
『リーンカッ!』
 顔を上げた凛華は表情を明るくさせる。
 久しぶりに見た白い鳥がそこにいた。
(ティオン!)
 小鳥に向かって手を伸ばそうとした彼女の頭にふわりと何かが落ちてきた。手に取って見るとそれはどこから持ってきたものなのか知らないが、乾いたタオルだった。
(気が利くねっ。ありがと、困ってたの!)
『入る前に気付こうよ、リンカ』
 呆れられながらも凛華はティオンが渡してくれたタオルで身体を拭き、手早く服を身につけた。
 髪を完全に乾かすことはできなかったが、もう汚れて破れた服なのだからと気にせず、ほつれた袖部分から布を裂き、何とか髪をくくった。
 そこまでしてから、凛華は水面を覗き込む。そこに映る自分の姿に小さく笑みを浮かべ、凛華は元居た場所へとティオンを連れて向かった。

 見慣れた顔だ。
 あの頃の自分ではない。
 ただ殴られることに、傷つけられることに怯えていたあの頃の自分の顔ではない。



「お帰りなさいませ」
 近くに野営地でもあったのだろうか。凛華が元の場所に戻ると火にかけられていた鍋から美味しそうな匂いが漂ってきた。
 何故鍋があるのかと不思議そうな顔をすると、アルが彼女の表情に気付き、口を開いた。
「近くに野営地があったそうです」
 やはり。
「──リンカ」
 かけられた声に振り返るとセシアとロシオルがいた。二人とも笑顔を浮かべている。ほっとしたような表情を見せ、凛華は二人に手を振った。

 彼らが作った簡単なスープで身体を温めてからすぐに出発した。
 明後日の昼までにはアルフィーユ王城に戻らなければいけないのだ。
 やはり昨夜と同じように二人ずつ馬に乗った。肩に止まるティオンと、時折笑い話をする。馬の方も凛華とティオンの会話にヒヒンと鳴きながら、茶々をいれた。だがそれが本物の笑顔ではないことは、凛華自身がよく分かっていた。
 人間がいる。ティオンは決して凛華を傷つけたりしないが、それ以外は彼女の声を奪った人間と同じ人間なのだから、どうしても緊張してしまう。

 不自然に強ばった凛華の体に気付きながらも、セシアはただ真っ直ぐに前を見つめて馬を進め続けた。



 結局行きよりも半日ほど時間をかけてしまい、アルフィスに着く頃にはもう太陽が頭上にあった。
 王城を出た時と同じように正門ではない門からそっと入る。

 セシアにありがとうと感謝の意を表して凛華が馬から下りると、リーサーに支えられながら歩いてくるベルが見えた。
 ベルの足に巻かれた白い包帯を見て凛華の瞳が傷ついたような光を浮かべる。

 自分のせいで、彼女は、怪我を。

「お帰りなさい……! リンカ!」
 足の怪我を忘れたかのようにベルが凛華に抱きつき、嬉しさを体全体で表してくれた。凛華は一瞬手をあげて抱き締めかえそうとしたが、ぴたりと手を止めるとそのまま静かに手を下ろした。ベルから体を離してにこりと笑う。
 ベルはその笑顔を見ると同時に涙を溢れさせ、もう一度「おかえりなさいませ」と噛みしめるように言った。
 ただいまと言いたかった。そして、ごめんなさいと。
 けれど今の状態ではそれもままならない。
 そんな凛華の心境をふと察したかのようにセシアが口を開いた。
「……リンカは声が出ないんだ。ベル、治療師を呼んで来て欲しい。とりあえず、私の部屋に来るように連絡を取ってくれ」
 ベルはひどく驚いた顔をして凛華を見たが、彼女がすまなさそうに笑うと、ぺこりとセシアに頭を下げた。
「か、かしこまりました」
「あと、彼女も一緒に」
 そう言ってアルの方を振り返る。
 ベルが頷くと、アルは凛華を気にしながらも頭を下げてベルの元へと進んだ。
 リーサーがベルの手をとり、王宮へ向かう。ひょこひょこと足を動かすベルを見て、また凛華が泣き出しそうな表情を浮かべた。


「ありがとうございます。陛下」
 ロシオルが膝をつき、深々と頭を下げた。
「何だ?」
「ベルが……妹が、リンカを助けられなかった事を気にしていたから、陛下がこの仕事を頼まれたと思ったので。……あなたは本当に良い王でいらっしゃる」
「リンカならそれを望むと思ったからだ」
 小さく笑ってロシオルを見た後でセシアは凛華に声をかけた。
 彼女はベルが歩いて行った方をじっと見つめていたが、彼に話しかけられるとどこか慌てたようにぱっと遠慮がちな笑顔を浮かべた。
「後で俺の部屋に来て? 服を着替えたいなら一度部屋に戻っても良いから」
 こくりと凛華は頷き、ティオンを肩に乗せたまま星見の塔へと駆けだした。
 警護騎士を彼女につけようとしたセシアだったが、彼女があまりにも早く塔までたどり着いてしまったのを見ると、小さく苦笑してから外套を翻した。

 セシアが王宮内に入り凛華が塔内に入っていくのを見守っていた若き騎士隊長はため息をついてから二頭の馬の手綱を引いた。
「お前たちもご苦労だったな」
 ぽんぽんと背をたたいてやる。馬たちは、ひんと小さく嘶いた。

 あの心優しい王がいればこの国の将来は明るい。
 そう、思った。