何か、音が。

 耳に届いたかすかな声と音に凛華は顔を上げた。
 こほっと咳をする。
 目を閉じる前よりも空気が悪くなっていた。酸素が足りないせいで幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか。
 はあとため息をついた。鉄枷に押さえつけられたまま、今日で何日が経っただろう。身体を少し動かすと、枷が傷に食い込んだ。
「っ!」
 悲鳴は漏れない。叫び声を上げたいのにそれすら許されない。
 だんだんと自分が人らしくなくなっていくような気がして、凛華はくすりと笑った。この状況で笑うことができるようになった自分はもう、おかしくなっているのだろうか。

「リンカ?」

 かしゃ、と音がたった。小さな声に反応し、自分が身じろいだ証拠だ。
 幻聴。そう、これは幻聴だ。
 こんな都合の良いことが現実であるわけがない。ここから助け出されて、アルフィーユに帰ることができるなんて。そんな、夢みたいな。
「リンカ……?」
「……ッ!!」
 違う。幻聴ではない。
 この、低めのよく通る声は。
 聞き慣れた声。ずっと聞きたいと願っていた声。
 まさか。本当にこんなことが。


 自分はここにいると大声で叫びたかった。
 けれど声が出ない。凛華は出しているつもりでも彼女の喉から出るのは掠れた空気の音だけだ。
 他に何か伝達方法は? 少し考え、凛華は歯を食いしばった。身動きのとれないこの状況で音がでるものと言えば残るは。

 この、枷。

 痛いのは一瞬だと自分に言い聞かせて、彼女は腕を力任せに思いきり動かした。これ以上ないほどに暴れて音を出す。がちゃがちゃとうるさい音が狭い室内に響いた。
 痛い。熱い。視界が痛みのせいで白けていく。
 血が、また流れる。血の匂いが鼻をつき、吐き気がする。
 それでも。酸素不足で血をこれ以上流せば余計気分が悪化することは分かっていても。彼女はやめなかった。
(お願い……っ! 気付いてっ!)

「リンカっ!?」

(気付いて……っ!)


「リンカ!」
 壁を殴るような音が壁越しに聞こえた。手を止め、凛華は今度は足を動かした。始めから足の方だけは手よりも拘束が緩い。踵を思いきり後ろの板にぶつけ、震動が骨に響いたが、凛華はそれでも音を出そうと暴れた。
 今気付いてもらえなければここから一生出られない。そんなことを考えてしまった。

 だからどうか。どうか、気付いて。

 足の動きを止め、音を聞き取る。ディーンがこの部屋に入る前、いつも聞いていた鈍い音が聞こえた。
 勢いよく扉が開く。
 この部屋には小さいながら灯りがあるけれど、外は薄暗い。光が届く範囲までその人が進んだ時、凛華は思わず再び枷を動かしていた。
 彼の視線が自分に向けられる。

 銀色の髪。
 見たいと何度も思っていたサファイアのように澄んだ青い瞳。

「リンカっ」

(あ、えた……。逢えた……っ!!)

 セシアの目が見開かれる。
 ああそうだ、自分はひどい格好をしていたなと凛華はどこかぼんやりと思った。まるで処刑される前の罪人のようにはりつけにされているのだ。
 その状況さえ忘れ、凛華は再びかしゃりと枷の音をたてた。
 一瞬驚いて立ちすくんでいたセシアがはっとし、隅にあった灯りを手に取り凛華に近づく。
「リンカ……」
 少し、痩せた。撲たれたのか頬は赤く腫れあがっていて、手首と足首にはひどい傷がある。よく見れば、その細い首には絞められたような指の形まで残っていた。
 元から華奢だった彼女だが、今はそれが痛々しく見えてしまう。
 何というひどいことを。
 セシアは頭に血が上るのを感じた。
 彼女はロシオルのように剣の腕前がずば抜けて良いわけでも、セシアのように武術に長けているというわけでもない、至って普通の、華奢な少女なのに。
「リンカ……遅くなって……ごめん」
 こんな目に遭って、彼女はどれだけ怖い思いをしただろう。

 凛華の手首と足首に繋がれている枷を確かめ、鍵穴はあるが鍵はありそうにないということを知ると、セシアは灯りを足下に置いてから、凛華に視線をやった。
「今外すからなるべく動かずじっとしていて」
 そう告げ、先ほど収めたばかりの剣を抜く。
 凛華は彼に言われた通り、動かなかった。動きたくとも少しでも動かせば手首の傷が痛む。
 枷と木の間の鎖を剣で壊し、それから枷の隙間に剣を差し込んで無理矢理こじ開ける。金属音が響き、からからと先ほどまで彼女の足首を縛めていた枷が転がる。もう片方も同じようにして壊すとやっと凛華は足が自由になった。
 セシアが立ち上がって今度は手の枷を木から外そうとする。けれどこちらの方は間に鎖はなく、直接枷の隙間に剣を差し入れるしかなさそうだ。
「俺の手を掴んで」
 そう言われて添えられた彼の手を、凛華がそっと握る。少し動かすだけでも傷が痛んだ。けれどそうしていないと彼女の手首を誤って傷つけてしまうかもしれないのだ。動脈に近い部分を傷つけてしまうと命にかかわる。

 セシアの手は温かかった。
 血を流し、冷え切っていた彼女の手には彼の手がとても温かく思えて、まるでその温かさが身体に染み渡っていくような不思議な感じがする。
 彼女の沈黙を不安と受け取ったのか、セシアは凛華と目を合わせて安心させるように言った。
「大丈夫、失敗しないようにするから」
 こくんと頷きを返しておいて凛華は目をそこから逸らした。
 剣が突きつけられるのを見てしまうと、手を動かしてしまいそうな気がしたのだ。

 セシアは細い剣先を無理矢理隙間に差し込み、凛華の手首に触れないようにしながらそれを動かしていく。手元が暗い上にこの部屋は空気が悪い。いつになくセシアは自分を落ち着かせようという努力をしなければならなかった。
 やっと鉄の引っかかりを見つけ、それを剣でどうにか動かす。
 外れた枷は大きな音をたてて床へ落ちた。
「これで最後だ」
 その言葉と共に最後の枷も壊される。
 つり下げるものがなくなった瞬間に彼女はふっと崩れ落ちた。
 凛華の手は震えていた。足はずっとつま先立ちの状態だったし、肩はおかしくなるほどずっとあげっぱなしだった。同じ姿勢で居続けることを強制されると、人の筋肉は大変な影響を受ける。
「大丈夫? 立てる?」
 セシアの優しい声。
 現実だ。夢じゃない。枷から自由になることができた。
 こくんと凛華が頷く。先ほどから彼の呼びかけに対して言葉を発しない彼女に、セシアは怪訝な表情を浮かべた。彼女の明るい声で、セシアと。名前を呼んで欲しかったのに。

「リン、カ?」

 凛華は彼の顔をじっと見てから首を振る。喉を押さえてぱくぱくと口を開くと彼にはちゃんと伝わったようだ。
 ひどく驚いた顔をしていた。
 きちんと自分の声でありがとうと伝えたかったのに。わがままを言ってごめんなさいと謝りたかったのに。自分さえあの時言い出さなければこんなことにはならなかったのだ。けれど謝りたくてもその言葉を音にすることができなくて、俯く。


 セシアは一瞬彼女に手を伸ばしかけたが、寸でのところで拳をつくり、手をひいた。
 間に合ったと思ったのに。彼女は声を失う程、傷つけられていた。
 何も言ってやることができなかった。
 何と言えば良い?
 もっと早く来ることはできなかったのか。彼女の願いを聞き届けず、城に留めておけば良かった。

 ぎり、と手に力を込める。その手を開き、セシアはつけていた膝をあげた。
 立ち上がった彼を凛華が見上げる。
「……リンカ、とにかくここを出てアルフィスに戻ろう。他の男に気付かれない内に……立てる?」
 もう一度凛華はこくり頷いた。今度は笑うことができた。
 やっと見せた小さな笑顔にほっと息をついたセシアが手を差し出す。
 彼女は大丈夫だと断ろうとしたが、身体は大丈夫ではないと訴えているし、ここは素直に甘えておくことにした。そっと手を重ねると、セシアが軽く力を入れて傷が痛くないように彼女を引っ張り上げてくれた。

 繋いだ手は、やはりとても温かかった。


 灯りを片手に持ち、セシアが凛華を部屋から連れ出す。体力がほとんど残っていなかった彼女はどこかふらふらとしていた。
 見張りだった六人の騎士が倒れているのを見て凛華が目を見開く。死んでいるわけではないようだが、動いてはいなかった。先ほどの物音はこれだったのだ。
 六人もの男性をたった一人で倒したセシアは、何事もなかったかのようにその場から彼女を引き離した。剣を扱う騎士によって連れ去られてひどい目に遭わされた彼女に、この光景は少し残酷だと思った。セシアだって、剣を扱う者なのだ。

 螺旋階段を降りる時、セシアは物音を聞きつけて足を止めた。
 凛華を庇うように彼女の前に立ち、すっと剣を抜く。
「陛下っ!」
 けれど駆け上がってきたのはロシオルだった。
 さすがの最強騎士も一度に大勢の相手をするのは大変だったようで、彼にしては珍しく息を切らしている。
 凛華は師匠の顔を認め、声をかけようと口を開いた。
「……っ!」
 けれど言葉は音にならないまま、消えていく。
(……あ……声が出ないんだっけ……)
 結局はまた口を閉じるしかなかった。
「ロシオル、見張りは?」
「この付近の者は全て倒しました。リンカ、大丈夫か?」
 ロシオルが話しかけてくれたのでこくんと頷く。今の彼女は自分から話しかけることはできない。誰かが話しかけてくれるまで自分の意思を伝えることができないのだ。
 厳しい鬼師匠は、今は優しい顔をしていた。
 焦れったい。声が出なければ、肯定か否定か疑問しか表すことができないではないか。
 いつも何気なく口にしている言葉がこれだけかけがえのないものだとは思わなかった。
 なくしてみて初めて分かる、不便さ。

「……ロシオル。リンカは声が出ない」

「何ですってっ!?」
 ロシオルが驚き、呆然と凛華を見る。
 彼女は申し訳なさそうに笑った。この師匠にも迷惑をかけてしまったのだ。ごめんなさいくらい、自分の言葉で今すぐ伝えたかった。
「驚いてる暇はないんだ。リンカの声はアルフィスに戻って、治療師に診てもらうから」
「は、はい」
「リンカ、この階段かなり長いけど……辛くない? 辛かったら言って。俺が背負っていくから」
 「そんなのだめだよ」と凛華は首を振った。そんなことをすれば彼が疲れてしまう。
 辛うじて足を動かすことはできたので、凛華は早く降りようとでも言うかのようにセシアの手を引いた。セシアが凛華の顔を見るが、大丈夫だからと小さく笑ってみせる。彼は、手を強く握りしめてくれた。


 階段を駆け下りて行く。
 いつもは少し走ったくらいでは何ともなかったのに、螺旋階段を何周かした頃には、凛華は息も絶え絶えだった。随分と筋肉が萎えてしまったらしい。それでもやっとセシアとロシオルに会うことができたのだ。こんなところで止まりたくはなかった。これくらい手首に比べたらまだましだと思いこませ、凛華はかくかくと震える足を動かし続けた。
(……アルフィーユに、帰るんだ)
 そのことが、彼女を強くした。

 そして塔の最上階から階下へと駆け下り、廊下へ出る。
 右に曲がって真っ直ぐ進めば出口だ。
 けれど凛華の耳に足音がふと届いた。
 自分たちのものかと思ったが、違う。この足音はもっと後ろから聞こえてくるのだ。階段を左に曲がった、その奥から。とっさに振り返ったがまだ相手は見えなかった。
(……どうしよう。あそこを抜けだしたのが気付かれた……っ?)
 前を向き、セシアとロシオルを見たが彼らは真っ直ぐに前を見ていてまだ足音には気付いていない。暗闇の中、足音だけを頼りにディーンたちの動向を探っていた凛華の方が音には敏感だったのだ。
 何か伝える方法を考えてぐっとセシアの手を引っ張る。彼は凛華に合わせて走りながら振り向き、優しい笑顔で彼女に問いかけた。
「リンカ? 疲れた?」
(違う。そうじゃない……っ)
 ふるふると首を振った。
 こういう時言葉があればと思う。
 話すことさえ出来ればジェスチャーなどなくても彼らに言いたいことが伝えられるのだ。けれど今は仕方がない。どうにかして足音のことを伝えないと。

 凛華が後ろを指差す。
 今度はセシアにもロシオルにもはっきりと足音が聞こえたらしい。ばっと後ろを見た。
「待ちやがれ!」
 やはり気付かれていて、十数人が剣を構えて追って来ていた。
 待てと言われて待つわけにはいかない。セシアもロシオルもスピードを緩めようとはしなかった。だが凛華はふらつき、速く走ることができない。このままでは詰め寄られてしまう。そしてそうなった時一番危険なのは後ろにいる凛華だ。

 セシアとロシオルはほぼ同時に足を止め、振り向いた。
 凛華に後ろに下がるように言い、剣を抜く。
 そう言えばディーンの姿がない。そのことに気付いた凛華ははっとして周りを見た。セシアとロシオルの向こうにいるのは、自分を撲った男性と、それを止めた男性。あとは知らない顔だった。
 ディーンとアルはどこにいるのだろう。ディーンは、というよりもアルのことの方が気にかかった。唯一彼女だけが何かと凛華に話しかけてくれていたのだ。だがきょろきょろと視線を動かしても、彼女の姿は見えなかった。
「そう簡単に抜け出せると思ってるのか?」
 あざ笑うようにそう言ったのは凛華を撲った男性。凛華はぎゅっと自分の手を握った。
 先ほどまではセシアの温かい手に繋がれていたのに。彼の手が離れてしまってから、冷たさがまた襲ってきた。
「……ディーン・セルディックはどうした」
「地下で気を失ってもらってるさ。あいつはティオキア王への反逆者だ」
「さあお戻り頂こうか、姫君」
 手を差し伸べられ、凛華が一歩後ずさる。
 嫌だ。もうあそこには戻りたくない。
 揶揄やゆするような「姫君」という呼びかけ方に首を振った。

「彼女は元々どこの国に属する者でもない。彼女がどこにいようと彼女の自由だ」
 ロシオルが唸るようにそう言った。

 凛華の手首についた傷。
 こんな華奢な少女に傷をつけて、こんな薄暗い塔の中で拘束するなんて。

「誰だ? お前たちは」
 凛華を庇う二人がアルフィーユの人間だとは分かっても、彼らが国王と騎士隊長であることは分からなかったようだ。
 ロシオルは答える必要などないという風に彼らを睨み付けた。
「護衛か何かか? どうせこの人数だ。すぐに負けるだろ」
 声を出すことのできない凛華は、彼をただ睨み付けることしかできなかった。
 悔しい。文句も言えないなんて、悔しすぎる。
 何も言い返さない彼女を見て彼は何を思ったのか。
 華奢な少女。騎士二人に守られているだけの何も出来ない少女。ジェナムスティにとっては邪魔な存在。

 どうせ消すのならその前に精神的にいたぶってやろうとでも考えたに違いない。
 にやりと笑い、彼は凛華を侮辱する言葉を吐いた。
「それとも? 姫君は愛玩人形にされるのはもうお嫌だってか?」
 にやにやと笑う顔は、嬉しそうだった。どこか狂気的な笑い方だ。
 凛華はその言葉に反応できなかった。耳慣れない言葉を上手く頭の中で変換することができず、何を言われているのか分からないからだ。


 けれどそれは彼女を守る二人を激怒させるには充分過ぎる言葉だった。

 鉄枷で暗い部屋に繋いで傷を与え、声まで奪って。
 その上、更に別の暴力までふるっていたのか。

 しかも、最低の。


「……何、だって……?」


 セシアの押し殺した冷たい声が凛華にも聞こえた。知らない。こんな冷たい声は知らない。
 ロシオルは彼女がセシアの声に怯えたことに気付いたのか、何も言わなかった。その代わりに前を向いたままでぼそりと「後ろにいろ」とだけ呟く。武器になりそうなものを持っていなかった凛華は素直に頷いた。

 剣が構えられる。
 冷たいサファイアと赤銅の瞳に射られて、彼らは一瞬たじろいだが虚勢を張った。
「愛玩人形の意味を知らないなら、教えてやろ────」
 冷や汗を浮かべながらもにやにやと笑っていたその男性は。
 最後まで言い切る前に吹き飛んだ。壁に叩きつけられ、くぐもった声を漏らしてから倒れ込む。
「殺さなかっただけましだと思うんだな」
 彼を叩きつけた本人であるセシアが、淡々と言った。
 いつも穏和な彼とは全く様子が違う。これが本当の彼なのかもしれないと思うと、凛華は息を呑むことしかできなかった。

 それが合図になったかのように、セシアとロシオルに一斉に剣が向けられた。

(――怖い)

 穏やかな笑顔を浮かべていたセシア。
 厳しかったけれど結局は優しいところがあったロシオル。
 優しくて温かな人たち。
 違う。これはいつもの彼らではない。本気で怒っている。自分を助けに来てくれた優しい人たちなのに、何故か凛華はがくがくと震えてしまった。彼らも人を殺すのだろうか。ディーンと同じように自分を痛めつけたりするのだろうか。

 怖い。
 怖い。
 怖い。

 考えたくない。
 もう何も。
 見たくない。

「な、何だよ……。たった二人で勝てると思うなよ」
 彼らは二人の殺気に怯んだが、おどおどしながらも剣だけはしっかりと握っていた。
 仮にも王命を受けるほどの騎士なのである。叫び声を発しながら、彼らは剣を振り上げた。

 凛華はそっとまた後退した。
 剣がない自分は、こんな近くにいても二人の邪魔になるだけだ。

 斬り掛かる。避ける。薙ぎ払う。かわす。気絶させる。
 その早い展開についていけず、凛華はその場に立ち竦んで半ば呆然としてそれを見守った。
 大丈夫。誰も死んではいない。気絶しているだけか、苦悶のうめき声を上げているだけだ。凛華は少しだけ安心した。



 ほっと息をついた所に後ろの物陰から腕が伸びてくる。
 突然のことに彼女は何の反応もできなかった。
 ぴたりと冷たい剣が首に当てられる。だがセシアもロシオルも気付かない。凛華は声を出せないのだから伝えようがないのだ。
「動くな」
 低い声で後ろから命令され、凛華が心の中で悪態をつく。
(全く動いてないし抵抗もしてないんですけど)
 どうも狭い部屋に閉じこめられている間に悪態をつくのが上手くなったようだ。

 その声で、セシアが後ろに気付いた。
「リンカっ!」
「おっと。後ろを向いてる場合じゃないぜ」
 だが、あまりの人数にセシアもロシオルも凛華まで手が回らない。
 彼女が大人しく自分の腕の中でいるのに気を良くしながら、その騎士はくっくっと笑った。
(あーもう、後ろで笑わないで! 息がかかって気持ち悪いっ!)
 いきなり知らない騎士たちに攫われ、狭い部屋に枷で束縛され、挙げ句の果てに声まで奪われて。

 凛華が、きれた。


(いー加減に……してーーー!!)


 もう許せない。
 文句は言えなかったけれど、反抗くらいしてやろうではないか。

 凛華の体力は健康な人間のそれと比べると驚くほど低下していたが、それでも大人しい彼女に油断していたのか、彼女に剣をつきつけていた騎士は直後声をあげていた。
「うわ!」
 小柄な彼女が大の大人である自分の剣を奪い取ったのである。
 勢い任せに捻られた腕がじんじんと痛み出した。
「なっ……お前!」
 何もできない少女だと侮っていたに違いない。だが残念ながら凛華は何も出来ないただの少女ではなかった。

 左手に収まった剣をちゃきりと構える。
 ふっと笑ってから凛華は剣を振り上げた。最強騎士仕込みの鋭い剣戟。笑った彼女の顔は可愛らしかったが、剣の動きは剣士の動きそのものだった。
「や、やめ……っ!」
 剣は騎士の首に当たる前に、ぴたりと止まった。この寸止めの仕方も師匠から学んだものである。凛華の未熟な腕では数センチほどの隙間があるが、ロシオルの寸止めはもっとぎりぎりなのだ。触れる寸前のところでぴったりと止められる。だが凛華のやり方でも十分に効果があったらしい。
 想像していた痛みが襲ってこないことにそろそろと騎士が目を開け、そして突きつけられていた剣を見て短く息を呑む。
 彼が身じろぎをする、寸前。
 凛華は手首を返し、彼の腹部に向けて渾身の力を込めて柄を叩き込んだ。ぐっと息を詰め、彼は気を失って崩れ落ちた。殺すつもりは最初からなかった。


 気絶させた相手を一瞥してから凛華はそのまま長剣を手にし、セシアとロシオルの方へ向かった。彼女にロシオルが気付く。凛華は奪った剣を見せ、指を三本立てて小さく笑った。
「ああ、二人だけじゃなく三人だって?」
 凛華がこくりと頷くとセシアが穏やかな笑みを浮かべる。先ほどまでの殺気はどこへ行ったのやら、彼が向ける笑顔は優しかった。

 すっと笑みを消し、凛華が騎士たちを睨み付ける。
 使い慣れていないけれど剣は武器だ。奪い取ったそれをしっかりと握り、構えた。


 冷めたサファイアの瞳と怒りを抑えた赤銅色の瞳も相当怖いが、凛華の漆黒の瞳も怖い。
 目が、据わっていた。