騎士隊長までも言いくるめた凛華は、早速セシアから装飾が少ない実用に向いた綺麗な剣をもらった。
 いらないものがあれば少しの間貸して欲しいと頼んだのだが、あげると彼に笑顔で言われたのだ。しばらく戸惑ったが、遠慮するのも何なのでありがたく貰っておく事にした。
 これで自分の身を守るものは手に入れた。
 使い方を間違えば人の命を奪うものでも、間違えずに使えばこれは自分の味方になってくれる。

 非力のままでいるのが嫌だった。
 守られたまま、なんて。それだけは絶対に嫌だと思う。
 負けず嫌いさも手伝ってか、凛華はこの金属の塊を扱いきることができるまでは絶対に諦めないと自分に誓った。
 もらった剣をどこにしまおうかと悩み、結局はチェストの横に立てかけておいた。凛華はあまり一人になりたがらないけれど自分の家では一人だったし、ここではベルやリーサーは夜中にはいない。
 せめて何か身を守ることができるものが傍にあればと思ったのだ。ここなら、手を伸ばせば寝台の上からでも届く。


 剣をもらったその日は、セシアは国王らしく大量の書類を決裁していっていたので乗馬は教えてもらえなかった。
 それに、連日であの浮遊感を味わうのは遠慮したい。乗ることができるようにはなったのだから少しくらい時間をおいても大丈夫だろう。
 ベルもリーサーも用事があると言っていた。
 代わりの侍女を用意すると言われた時に思いきり反対しておいたので、今この部屋には凛華一人だ。
 そこで、これまで無視しておいたものに取りかかることにした。
 つまり、勉強だ。
 学生にアンケートすると過半数を軽く超える回答者が嫌いだと答えるあれだ。新しい知識を得ることは楽しいけれど凛華もその過半数に属するタイプなので、鞄に入っている教科書はここに来てからまだ開いていなかった。
 何気なく一番最初に目についた数学の教科書を鞄から引っ張り出して開く。
 三角関数の公式などがつらつらと並んでいたそのページは見るだけでうんざりとさせる強者だ。
(……分からない)
「勉強しないとだめだよね……」
 面倒臭そうにそう呟いてから教科書を閉じた。自分で言っておきながら、彼女は勉強しないらしい。
「三角形の角度求められなくても死なないもん……」
 随分な言い訳だ。正論と言えば正論なのかもしれないが。

 封印してしまえとばかりに教科書を鞄に戻した凛華は椅子から立ち上がることなく窓に視線をやる。
 外は快晴だ。のんびりお散歩でもしたくなる程の良い天気。空気が湿っていないので日差しがあっても充分過ごしやすかった。窓から覗く風景は穏やかな景色が続いている。
 先日セシアに聞かされた言葉が嘘のようだった。
 戦争を何度もしている国とは思えない。

 まるで平和そのもの。

「アルフィーユって……戦争起こしてたっていう割には平和だな……」

 けれどどれだけ今現在が平和であったとしても戦争が過去にあったということは事実だ。
 たくさんの犠牲者が出たとセシアは言っていた。その時の彼の鋭い瞳は、穏やかな笑みを浮かべている人と同一人物だとは思えないほど怖かった。
 あの眼差しを見たから。だからあんなにもあっさりと承諾してしまったのだ。強制された訳でもないのに他人が何となく従ってしまう。
 彼は、王にふさわしい人間だ。

 この国の人は、死と隣り合わせの世界で生きている。
 戦争が始まれば何人もの人が悲しむような、そんな危険に満ちた世界で、どうしてあんな風に笑っていられるのだろう?
 戦争のない国と知られている場所で生きてきた凛華は、戦争で命を失うような場所ではなかったのに、アルフィーユの人々のように笑うことはできなかった。
 父親や祖父がいなくなってしまってからは笑うことも忘れてただぼんやりとして。
 何てちっぽけな人間なんだろうと考えて寂しくなった。
 ──この国の人々は笑う。いつ死ぬかも分からないこの世界で、笑っているのだ。
 それなのに自分は。
「子供だなあ……」

 これでは、セシアやロシオルやベルを見て大人びていると感じるのも当たり前なのだ。
 死を乗り越えてそんな風に笑っていられる人々は強い。
 安全な場所で現実から逃げ出し、悲しみ続けていた凛華よりも、ずっと。

 だから。もっと強くなりたいと、そう思った。
 体力的な意味もあるけれど、それよりももっと精神的に強くなりたい。強がっている今の凛華は、本当は弱いままなのだ。過去から目を逸らして必死に考えまいとしている。
 ずっとそのままで良いとは思っていないけれど。凛華はたった一人で過去と向き合えるほど、強くはなかった。
 もっと、強く。
 笑っていられるように。
 自分の身だけでなく、他人を守ってあげられるように。
 現実から目をそむけることなく、生きていけるように。


 そう決心してから凛華は今度は立ち上がって窓に近づいた。
 柵も何もついていないので思いきり身を乗り出せば塔の最上階から真っ逆さまだ。あまり乗り出さず、凛華は窓から見える風景をゆっくりと眺めた。
 本当に良い天気だ。部屋の中で勉強をするのは馬鹿馬鹿しい。勉強する前に片付けたことはこの際無視しておいて。
「お散歩行っちゃ……だめ……かな」
 賓客としてこの部屋をもらってはいるものの、迷惑をかけないようにと勝手に出歩いたりはしていない。なので乗馬やベルに城内を案内された時以外は、凛華はあまり外に出ることがなかった。
 ベルやリーサーが傍にいれば何ら問題はないのだろうが残念ながら今は自分一人である。
 誰かに許可をもらってこようかと逡巡していると、視界をすっと白いものが横切った。
 青い空にその白はよく目立つ。
 ぱっと顔をあげ、凛華は窓から手を伸ばした。

「ティオンっ」

 やはり、あの鳥だ。
 パサパサという小さな羽音をたて、その白い小鳥は彼女が差しのばした指の上に器用に留まった。
 自分一人ではなくなったことに凛華が喜ぶ。話すことはできないけれど、自分以外の何かがいるのはとても嬉しかった。
 そう話すことはできない、けれど。

『リンカっ!』

 鳥は人語を話さないけれど。

(……え?)
 どこからか声が聞こえてきた気がして、凛華はきょろきょろと周りを見渡す。
 窓の外の方から聞こえたような。
 けれどここは塔の最上階。地上からかなりの距離がある窓の外に人がいたら驚きだ。幻聴だったのだろうか。
「変だな、誰もいないのに……」
 窓から身体を乗り出して探してみる。けれど視界に映るのは変わらない王城の城。庭を手入れしていた庭師がふと上を見上げ、凛華は彼と目が合ったので慌てて手を振ってから乗り出すのをやめて身体を引いた。
 部屋の中も一通り見回してみたが、人影はどこにもなかった。
「……気のせい?」
 顎に人差し指をあてて、うーんと首を傾げる。
 耳が悪くなったのかもしれない。現代人にしては視力も聴力も良かったのがささやかな自慢だったのに。
「ローシャの乗りすぎで三半規管おかしくなった?」
 嘘だそんなこと、と自分でも思いながらそう呟く。
 気のせいということにしておこうと彼女が決めた直後。
 またしても。

『……気のせいでもないし三半規管の問題でもないよ?』

 はっきりと聞こえた笑いを含んだ声に、凛華は窓枠にかけていた手を滑らせて思わず窓から落ちそうになった。
 持ち前の反射神経で咄嗟に反対の手で枠を掴んで何とか落下を免れる。
 さすがにこの高さから落ちたら、無傷では済まないだろう。一ヶ月は寝台の上で生活すること請け合いだ。それは遠慮願いたい。下手すると死んでしまう。折角つい先ほど一人でも笑っていられるようにと決心したのに、そんな矢先に死んでしまうなんて意味がないではないか。それに、きっと後かたづけをしなければならない人たちの方が嫌な思いをするだろう。

「あ、あ、ああああぶない……。ギリギリセーフだ」

 窓は危ない。長い長いため息をついてから凛華は窓から離れた。
 疲れているのかも、しれない。
『大丈夫? ここから落ちたら無傷じゃ済まないよ』

 どうしようか。幻聴ではない気がひしひしとする。
 はっきりと聞こえてくるのだ。
 もやがかかったような声ならまだ空耳だと納得できるのに、こうまで明確に音が聞き取れてしまうと空耳では説明できない。
 もしかしたらととっさに思いついた凛華は扉へ駆け寄って勢いよく開けてみた。

「ぅわ! リ、リンカさま、いきなり開けないで下さいよー……」

 凛華が豪快に扉を開けた音に驚いた警備の騎士が驚いて飛び退く。
 苦笑いを浮かべた彼に「ごめんなさいっ」と謝ってから、凛華はあることを尋ねた。
「あの、わたしが開ける前に、何か言いませんでしたか?」
「いえ? ただ見回りをしていただけですが……」
「……そう、ですか」
 変なこと訊いてごめんなさいともう一度謝って、凛華は部屋の中へ戻った。
 ぱたんと扉を閉めて。大きなため息をつく。
「……睡眠時間足りないのかなあ、わたし」
 凛華が眉根を寄せてうーんと唸っていると、ツンツンと頬を突かれた。
 少し痛みを感じるそれに考るのを止め、彼女が視線を落とす。
「え?」
 よーく見ると。
 ティオンが翼をパタパタさせたままつついていた。傷つけないように気遣っているのか、痛くはないがくすぐったい。
「ティオン、なあに?」
 くすぐったそうに首を竦めながら凛華が言った。鳥の羽毛は尚もくすぐったさを伝えてくる。

『リーンーカっ!』
「…………」
『リンカー? もしもーし? 起きてるーー?』

(どうしよう、どうしよう、どうしよう……っ!)

 何だかちょうどティオンがいる位置から聞こえてくるのですが。
 何だかティオンのくちばしの動きと声が一致しているのですが。


「……夢だ。うん、これは夢だよね。寝よう」


 サッと音が立つほど素早く踵を返して凛華はベットに向かった。お約束なほど動揺していたので右手と右足が同時に出ている。ぎこちなく動くブリキ造りのおもちゃの兵隊のようだ。
 現実逃避を決め込むつもりらしいらしい。
 夢だ。これは絶対に夢だ。
 鳥が喋るなんて、夢以外のなにものでもない。
「ここのところよく眠れなかったから……。これは夢だ」
『夢じゃないよ。リンカ』
(ああ……独り言に返事が返ってきてしまった……)
 凛華はそろーっと後ろを振り返り、自分の指から窓枠に位置を変えた小鳥を見る。
 しばらくのあいだその黒い瞳をじっと見つめてみる。
 鳥だ、鳥。人がこんな小さい鳥の羽毛なんか被ることができる訳はないから明らかにこれは鳥である。翼があってそれを動かして大空を我が物顔に飛ぶことができて、ぴーぴーだとかカァカァだとかぽっぽっと鳴いたりして卵から生まれるやつだ。
 鳥、だ。

「ティ、オン。本当に……ティオンが喋ってるの?」

 これが夢であって欲しかった。
 何という常識を無視した事態だろうか。

『うん』

 そのあっさりとしたティオンの返答を聞き、凛華はがっくぅ、と膝をついた。
 素晴らしい衝撃の表し方だった。
「……ア、アルフィーユに来た事実は認めるけど! 認めるしかないけど……。でも動物が喋るなんて、……信じられないぃ。わたしの常識は一体……」
 常識さん何か悪いことしたなら謝りますから帰ってきて下さい、と真面目に思った。
『えー、でも今実際に喋ってるのは動物の鳥だよ。認めちゃえば良いのに』
 その方が楽だよ、とか言っている、何処か楽しそうなティオン。
 小さなため息をついて凛華はこの現実を認める事にした。
 自分の全く知らない異世界──しかも王様までいちゃったりするのだ──に来てしまったのだから、これくらい頑張れば認められる。
 そう、頑張ろう。ティオンの言う通り、認めてしまえば楽だ。

「……うん。わたし、多分まだ正常だからこれは夢じゃない。……で、ティオン、どうして今まで喋ってくれなかったの? もしかしてティオンっていう名前気に入らなかった?」
 初めて会ってから結構な日数が経っている。喋ることができるのならさっさと喋ってくれれば良かったのに。そうすればこんなにも今驚くことはなかったと、少々恨みがましい視線をティオンに向けた。
 ティオンはすいっと凛華から視線を逸らし、素知らぬそぶりを見せた。
『まあ色々事情があるんだって。言っとくけど名前が気に入らなかったとかそんな理由じゃないから』
 どういう事情なのか。そう尋ねたくなったが、何とかそれを喉元で止めて、凛華は別の質問を投げかけた。
 ティオンが喋っているということは、他の動物もティオンのように喋ることができるのだろうか?
「この国の動物ってみんな人と喋るの?」
『違うよ、リンカだけ。他にいるかも知れないけど……ね』
「へっ? わたしだけ?」
 やっとショックから立ち直った凛華が椅子に座りながら言う。
 セシアの馬の扱い方がとても上手かったから、彼も動物と喋ることができるのかと思ったのに、違った。
 ティオンはぱさぱさと羽音を立てて椅子の前の机に着地し、翼をたたんだ。

『そう。リンカだけ』

 凛華は少しだけほっとした。
 どうやら凛華でなくとも、動物が喋るというこの状況は非常識なことらしい。
「どうして?」
 こくりと首を傾げて尋ねると、白い小鳥は凛華以上に首を横へ傾け、かちかちと小さく嘴を噛み合わせた。
 どう言うべきか迷っているらしい。
『……リンカが、「預言された少女」っていう特別な存在だからね』
 「預言された人間」とはそんなにすごいものなのだろうか?
 凛華は思わず更に首を傾げてしまった。
 どう考えても自分がそんなにすごいとは思えない。突出して得意なこともなければ、同時にこれだけはどうしてもできないというようなこともあまりない。
 混乱する凛華をさらりと無視してティオンは話を続けた。ゴーイングマイウェイな鳥もいたものである。
『元々動物は喋ってるんだ。人間とは違って言葉っていう表現形式がないだけだよ。ほら、コウモリとかクジラとかイルカとかさ、リンカも知ってるんじゃない?』
「あ、うん。知ってる! コウモリって超音波で意思疎通できてるんだよね?」
『そうそれ。動物だってそれが言葉にならないだけで喋るに決まってる。リンカがこうやって会話できるのは……』
 そこで一旦口ごもり、ティオンは誤魔化すようにまた嘴をかちかちと鳴らした。
『とにかくリンカがこうやって話してるのも、他の人間から聞けば鳥の鳴き声と会話してるだけなんだ』
「うわあ、怪しいなあ……」
 凛華は想像してみた。ピィピィと騒いでる小鳥と、真剣に話している自分。
 かなり、奇妙だ。現代でそんなことをしようものなら白い目で見られる。鳥がオウムでなければの話だが。


 信じられないけれどそれでも誰も話し相手がいないよりはいい。
 プラス思考に徹して、凛華はティオンとの会話を楽しむことにした。やはりここでは常識を捨てた方がいいようだ。後で戻ってきてね常識さん、と意味不明なことを心の中で小さく呟き、凛華は完璧に常識を放棄することにした。
「ねえティオン、ティオンだけじゃなくてローシャとも話せたりするのかな?」
『……あのねリンカ。人の話聞いてた?』
「……ティオンは鳥だけどね」
 話を理解していなかったことを指摘された凛華は頬を染めてぽつりと呟いた。
 ティオンは「言うじゃん」と楽しそうに笑った。





 次の日はベルが凛華に竪琴を教えてくれた。
 下手の横好きかもしれないが凛華はできそうなことは何でもしたいと、彼女に頼んだのだ。だがしかし、最初の十分で気分は既に挫折状態。
「ですからこうして……」
 優しく教えてくれるベルの言葉が異国語に聞こえてきてたまらない。高校の英語の授業よりも異世界だ。いや、ここが異世界なのだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。
 才能がないなあと凛華は少し落ち込む。学校の音楽も、歌はいいのだが楽器となるとてんで駄目だった。
 けれど自分から頼んで教えてもらっている手前やめたいとも言えずに、半日程ベルに教えてもらうしかないのであった。

 そんな至って普通の──鳥と話をしている時点で普通ではないが──生活が、緩やかに過ぎていった。



「何か……流されてるみたい……」

 窓枠に腕を乗せ、頬杖をついてぼーっとしていた凛華が呟いた言葉。
 傍にいる白い鳥がこくりと首を傾げた。
『何に?』
 もう慣れてしまったティオンとの会話。いちいち驚くのはやめたのだ。
「んー……。何て言うんだろ……? 毎日色々教えてもらって平和に過ごして……」
 そうだ。毎日温かい食事をもらって、働きもしない自分にベルとリーサーという優しい侍女を二人も付けてもらって。
 そんなままで、いいのだろうか。運命を左右するほどの力を持つというなら、もっと何か、そう、他人を救うことができるような何かをするべきではないのだろうか?
 救世主になるつもりはなかった。
 だけど本当にこれでいいのだろうかと考えると、何かしなくてはいけないのに何もすることがないことに、不安になるのだ。

『何か不満でもあるの?』

 核心を突くティオンの言い様に、凛華は目を閉じて考えた。
 一体何をすればいいのだろう。それが、分からない。
「……わたしが『預言された人間』なら、少しでも早く戦争を終わらせるべきなんじゃないかなって……思って」
 きっと自分の存在意義は、それだけ。
 この世界に歓迎されているのも、そうすることを信じられているから。
「こんな温かい場所で……色んな人に優しくしてもらってる場合じゃないのかなあ……って……」
『……元の世界に戻りたい……?』

 またしても核心。

「戻りたいのかな……」

 目を閉じて何を思う?
 凛華は自分の心に尋ねた。心の中に浮かんでくるのは?
 制服を着ている高校生としての自分なら、凛華は戻りたがっている事になる。ここにいたくないと。自分が生まれた場所に帰りたいと。そして、アルフィーユでの凛華なら。自分は戻りたくない、ここにいたい、という事になる。この心地良い場所に。誰もが凛華を受け入れてくれる、そんな夢のような場所に。
 一体どちらなのだろう?
 頑張ってあれこれ考えてみても、何も思い浮かばなかった。

 ティオンに流されているみたいだと言った。
 ――何に?
 きっとそれは、凛華自身の迷い。何をするのか分からなくて狼狽えている自分の気持ち。一人でも生きていけるようになりたいのにその方法が分からないという不安。

 凛華は突然目を開けて椅子から立ち上がった。
 勢いよく立ち上がったせいで椅子がかたりと倒れ、ティオンが驚いて飛び上がる。

「あ、ごめんねっ」

 慌てて椅子を直そうとする彼女に、ティオンは尋ねた。
『リンカ、どうかした?』
「ん。身体動かしてくる! 明日ロシオルさ……じゃなかった。ロシオルに稽古つけてもらうの! ちゃんと体慣らしておかないと、ねっ。うじうじするのはやーめたっ!」
 彼女はそう言ってにこりと笑った。晴れやかな笑顔。
 彼女は簡単に不安に押しつぶされそうになる普通の高校生なのだが、前向きなのだ。
 ティオンは机の上に舞い戻ると、翼をぱさぱさと動かした。
『行ってらっしゃーい。はりきり過ぎて転げ落ちないように』
「もし転げ落ちたら助けに来てねっ」
『……あのさ、リンカ。人間と鳥の体重がどれだけ違うか分かってる?』
 呆れたようなティオンの言葉にも笑顔を返しておいて、凛華はセシアからもらった剣を手に取り、扉へ意気揚々と向かった。


 パタパタという足音が遠ざかっていく。
 階段を転げ落ちる音は聞こえてこず、ティオンは広げていた翼をしまってひょいと机の上から飛び降りた。そのままとんとんと窓の方へ近づいていき、上を見上げる。
『……思い立つと同時に行動……か。あの人にそっくり』
 電光石火の彼女と連想して頭の中に浮かんだ人影を振り払うかのようにぷるぷると頭を振ると、ティオンは真っ白い翼を広げて窓枠に飛び乗った。
 それから、凛華にはごまかした動物が彼女に喋る理由を口の中で呟く。

 ――人はさ、笑いながらでも嘘がつける動物なんだよ。

 それならばせめて、この世界で誰も頼る相手のいない彼女を、守るために。


『……凛華ちゃん、騙してごめんね』