セシアが部屋からいなくなり、しばらくしても誰も来ない。完全な放置状態だ。
 足の傷は本当にきちんと手当されていて軽く動かしても痛くなかったので、凛華はそっと立ち上がって大きな窓に寄ってみた。大丈夫だ。歩くたびにじんじんとしていた傷は、まるで最初からなかったかのように痛みを感じない。
 彼女が案内された部屋は塔の最上階だったので高い位置にあり、城やその周りの街が見えた。
 今にも笑い声が聞こえてきそうなほど穏やかな国である。
 城の庭の方に目を移すと、城で働いているらしい色んな人が談笑している。傾きかけた夕陽が人々を優しく見守るかのように淡く輝くのを全身で感じ、何となく嬉しくなった。
 城の庭や街の雰囲気からして、セシアはすごく良い王らしい。高校で習い始めたばかりの世界史の授業からでも、人々に笑顔のない国の王は嫌な王だということが分かるから。

 そんなことを考えながら彼女が城の庭を見ていると、ノックの音が聞こえた。
「は、はい……?」
 もう国王陛下だろうが妖怪だろうが驚かないぞ、と彼女は決心する。
 声からして驚いて怯えているのは明らかなのだが、目先のことに必死な彼女はそれに気付く余裕を持ってはいなかった。
「失礼いたします」
 そういう声と共に部屋に入ってきたのは、肩下までの金髪を一つにまとめた凛華と歳の近そうな人だった。
 装いは日本で言うワンピースである。スカート部分は少しふんわりと膨らませてあるが、それ以外は体に沿うようになっており動き回ったり細かい作業をしたりするのに適している。この城に入りこの塔へ連れて来られるまでに何度か目にした服装だった。ここで働く人たちの制服か何かなのだろう。
「お初にお目にかかります。本日よりリンカさまのお世話をさせて頂きます、ベル・カナルツと申します」
 ベルと名乗った彼女は服の裾を持ち上げて腰を落とし、頭を下げる。中世ヨーロッパの挨拶みたいだな、と凛華は思った。
 まさか膝丈までの制服のまま彼女と同じ礼をするわけにはいかないので、凛華はぺこりと頭を下げた。


 ベルは少し驚いた表情を見せた。
 凛華はこの国にとっては運命を変える力を持つというたいそうな人物であって、たった一人の女官に頭を下げるような人物ではないのだ。
 拍子抜け、というのだろうか。
 それでも悪い気は全くせず、それよりも気取らない彼女が何だかとても親しみやすくて、ベルは仕事用にと造っていた笑顔から、造りものではない本来の笑顔を浮かべた。
 先ほどの国王も、この女官も、何故だかこの少女に会うと表情を緩める。勿論当事者である彼女にはその変化など分からなかったが。
「あの……ベル、さん、でいいんですよね?」
 更に彼女は侍女である自分に敬称をつけたりする。
 この少女に会ってから、ベルは戸惑いがわき上がってきて仕方がなかった。
「はい。リンカさまはおいくつでいらっしゃいますか?」
 戸惑いを隠してそう尋ねてみると、凛華は目を瞬かせてから、答えた。歳を訊かれるとは思っていなかったらしい。ベルは一瞬、不躾なことを聞いてしまって咎めを受けるだろうか、と息を飲んだが。
「わたしは十六です。ええと、ベルさんはおいくつですか?」
 凛華は全く気にしていない風に答え、更には身分の高くないベルに丁寧に尋ね返した。
「リンカさまと同じで、十六でございます」
 ベルは思いがけない質問に、けれどふわりと笑った。

 彼女の赤銅色の綺麗な瞳はとても優しい色をしている。凛華はその色がどんな色なのかと形容することはできなかったが、暖かい春の土の色みたいだと結論づけた。
「同じ歳ですね」
 歳がかなり離れてしまっていたら、おそらく凛華はこんな風には笑わなかっただろう。同じ歳ということが彼女の気を楽にさせたのか、凛華はベルが部屋に入ってきた時とは比べものにならないほどほっとしていた。
「あの、リンカさま。わたしの名前に敬称をつけて頂かなくて結構でございます。どうぞカナルツとお呼び下さいませ。わたしは一軍人の妹に過ぎません。爵位はないのです」
 凛華はベルの言葉を理解するために沈黙し、それから「でも」と声を漏らした。
 同じ歳のベル。凛華はただの学生で身分だとかそういったものには全く関係がない。そしてベルは自分が軍人の妹だからと言う。それならば、立場はそう変わらないはずだ。
「じゃあベルって呼ばせてもらいます。苗字……とは言わないのかなあ。ええと、家名……ですか? それを呼び捨てにするのって、あんまり好きじゃないです」
 にこにこと、笑う。
 ベルは拍子抜けし、赤銅色の瞳を大きく見開いて一瞬動きを止めた。全く想定していなかった言葉を主から言われたのだ。その驚きも当然である。
 ベルが何も言えないでいるうちに、凛華は更に付け足した。
「それと、わたしも『さま』はいらないです。だってわたし、ただの学生ですよ? ええと、この国にも学校、ありますよね? その学生を相手にしてる感じでお願いします」

 何なのだこの「主」は。

 数秒ほど沈黙して。
 お互いの顔を見つめ、それから凛華とベルは二人で顔を見合わせて笑った。
 この国に来てから初めて人と一緒に笑った気がする、と凛華は機嫌よく思った。


「本日はわたしだけで大変申し訳ございませんが、明日になればあと七人の女官がお仕えいたします。今日は一人ですが精一杯お世話をさせて頂きますので、何でもお言いつけ下さい」
 そう言って深々とベルが頭を下げた。
 そして彼女が顔をあげるまで、沈黙。

 今、七人とか。聞こえたような。
「うぇっ!? な、七人ーーっ!?」
 凛華は思わず変な声を上げた。
 あまりのその驚きようにベルが不思議そうな顔をする。
「え、ええ……。あ、七人だけではご不安でございますか? もしそうならもっと大勢侍女を用意いたします。警護騎士も勿論明日よりおつけいたしますわ」
 そんな、とんでもない。
 ついこの間まで、自分のことは自分でするというごく当たり前の生活をしていたのだ。
「い、いいよっ! わたしそんなに偉い人間じゃない! 侍女なんて居なくて大丈夫だって!」
(……あ)
 自分の言葉にハッとして凛華がベルの顔を見る。
 侍女など居なくても良いと、言ってしまった。これでは自分の言葉は彼女を否定しているようではないか。
「そんな……。わたしは何か粗相をしてしまいましたでしょうか? リンカに嫌われたらわたし……」
 ベルが瞳を潤ませた。今にもぽろりと涙が零れそうだ。
 凛華は焦った。このままではせっかく笑いあうことが出来た人を泣かせてしまう。
「そ、そうじゃなくてね? わ、わたしは……人を使うなんて出来ないだけ。あの、今までそんなことしたことがないから。ベルが嫌いなんてことは絶対にないよ」
 どうしてここまで言い切れるのか分からない。たった今逢ったばかりの人間を。嫌いではないと、はっきりと。
 けれどどうしてかここは居心地が良いのだ。
 時間に流されるように生きていた時とは違う。いなくなってしまいたいと思ったことさえあったあの時とは。
 ――どうしてだか、泣きたくなるほど温かい。
 運命を変える力だとかそんなものは関係なくて、ただ、こうして笑い合うことができる人がいることが、幸せだと思った。

 凛華が必死にそう言うと、ベルはすぐににっこりと笑った。
 柔らかく細められた赤銅色の瞳には涙など既に見あたらない。何だか少しだけ騙された気分だ。
(う、嘘泣き……? いやいやいや、簡単に人を疑っちゃ駄目だ。決めつけるのは悪いことだって)
 彼女は結構甘かったりする。普通はもっと疑っても何ら不思議ではない。
「良かったですわ。では後の七人もよろしいですよね?」
 何だか丸め込まれているように感じるのは自分だけだろうか、と凛華は首を傾げた。
 きっとそうだ。自分だけに違いない。どこまでもお人好しな彼女はそう判断する。
 それでも七人もの付き人がいる場面を想像して、自分を奮い立たせた。
「え……えっと……ベルだけがいいなー……なんて」
 ちょっと笑顔で言ってみる。
 だが直後、ベルはあっさりと返してきた。
「それは無理です! わたしが不覚にも病気や怪我をしたらどうなさいます? リンカのお傍に誰もいなくなってしまうではないですか」
 身の回りのことくらい自分でできます。とはとても言い返せない雰囲気であった。
「じゃ、じゃあ……。あと一人で……」
 ベルはしばらく渋ったが、結局凛華の言う通り彼女付きの侍女は二人ということになった。
 結局はベルの思い通りにことが進んだような気がしないでもないが、凛華は彼女が嬉しそうににこにことしているので気にしないことにした。



 人の笑顔は誰かの栄養になるのだと、父親が言っていた。
 それは本当だと思う。
 自分が哀しくて仕方ない時に、誰かの笑顔を見ると羨ましくて堪らない。どうして自分はこんなにも情けない顔をしているのに、他の人は笑っているのだろうか。そう思うから。

 笑えるように、泣くことができるように。

 小さい頃、あやすようなその言葉を聞いて随分と不思議に思っていた。
『お父さん、でもわたしは泣きたい時は笑えないよ?』
 そう言うと父親は。
『いっぱい泣いてから、いっぱい笑えば、楽しいと思わないか?』
『お父さん難しいことばっかり言う……』
 ぶーっと頬を膨らませた自分の頭を父親は、はははと笑いながら撫でてくれた。いつか分かるようになるよと面白がるように言っていた。
 その本当の意味を、父親が亡くなってから知る。
 信じられないほどの喪失感だった。父親がいない。ただそれだけで、もう人生が終わってしまったかと思った。その時に支え続けてくれたのは、祖父と、胸に残っていた父親の言葉。

 今も、そうだ。
 ──笑ってくれると嬉しい。



「ところでお召し物をお着替えになりませんか?」
 唐突にベルの口から漏れたその言葉。
 凛華は考え事をしていたので一瞬その意味が分からなかったが、それを理解すると首を傾げた。
「え? 着替え?」
 制服だと何かまずいことでもあるのだろうか。
「ええ、リンカのお召しになっているそのお服、汚れていらっしゃいますよ」
「あ、本当だ……」
 そう言えば寝転んだり棘の植物に突っ込んだりと色々した気がする。何ということだ。制服には草も土もついていて、とても綺麗だとは言えなかった。
 けれど着替えるものなど何もない。体育の授業はあったがあいにくと体操服などの着替えることができそうなものは全て持ち合わせていない。いっそ裸か。それは嫌だ。
 どうしようかと凛華が考えていると、ベルが失礼しますと言って彼女の制服に手をかけようとした。それはごく自然な態度だった。
 途端に凛華は頬を赤らめた。同性とはいえ他人に服を脱がされるなんて、とんでもない。
「じ、じじ自分で着替えるから! そこに、着替えっ! 置いといて下さいぃっ!!」
 と、真っ赤になったまま彼女が後ろを向いたので、ベルは仕方なく用意していた服を置いた。
 実はベルは可愛らしいものを飾り付けることが大好きというごく普通の女の子の一面がある。そこに飾り甲斐のある少女の登場だ。こんな恰好の相手はいない。綺麗な黒髪に触りたいと見た時から思っていたことは凛華には秘密だ。
「では……お出来になりましたらお呼び下さいね」
「う、うん」
 ベルが少々残念そうに部屋から出ていく。
 一人になり、ふぅっと息を付いてブレザーに手を掛けながら、ベルが置いてくれた服に振り向いて、凛華は愕然とした。
(……服って……これ!?)
 そこにきちんとたたまれて置いてあったのは、童話のお姫様が着るような煌びやかなドレスとそれに見合った装飾品だった。
 ドレスは鮮やかではあるが派手すぎない青色で、首までしっかりと覆っていたベルの制服とは違い、肩の線を見せるため大きく襟ぐりが取ってある。スカート部分はおそらく凛華の足首まではある長いもので、裾にいくに従って生地より白い色の糸で縫い取られた細やかな花の刺繍がアクセントとなっている。洋画で目にするようなコルセットの類はないので下着の上からそのまま身につけて良いのだろう。ドレスに重ねて置いてある幅広の紐は帯紐だろうか。ドレスはふんわりと広がる形のものではないから、この紐で腰を絞って形を作るらしい。

 ――一般庶民。
 そう、自分は一般の人間だ。
 何だってこんなドレスを。

「こ、これ……露出多い……」
 背中の開いた服を平然と着ていた親友を思い出してそう呟く。いつか寒くないのかと訊いたら彼女は大笑いしていた。見せるために着ているのだそうだ。
 消極的な凛華は露出の多い服を好まない。恥ずかしいからだ。
 それでも、今ここにあるのはこれしかなかった。
 ここでは常識を一旦捨てた方がいいかな、と無理に思いこむことにして凛華はドレスを持ち上げた。ふわりと揺れるその裾がまた日本人の自分には似合わない気がして、くすりと笑った。

 何とかドレスを着ることはできた。それほどややこしい造りではないことが幸いしたようだ。腰帯は前で蝶々結びをしてみただけなのでこれが正解なのかは分からないが、ベルに聞いてみるしかない。
 肘まである手袋も付ける。どんな格好なのか知りたかったが、全身が見えるような大きい鏡がなかった。見るのも怖い気がする。
 元々和服の似合うタイプだと言われる自分が、こんな西洋風のドレスを着ている姿を見るのは気恥ずかしい。けれど彼女は知らないのだが、この国の身分の高い女たちは元々足を見せるような服を着ないので、どちらかというとここでは彼女の制服の方が気恥ずかしく感じるものだった。



 少し間をおいた丁寧な叩音が聞こえる。
 気付けば時間が少々経ちすぎていた。
「リンカ、お済みでしょうか?」
「んーと……多分できた……と思う」
 いまいち不安が拭いきれない様子が凛華の声から分かる。
 浴衣の着付けの仕方なら近所の主婦に教えてもらったことがあるのだが、こんな肌触りの良いドレスの着付けなど、誰にも習わなかった。
「では失礼いたしますね」
 ベルが断りを入れてから部屋に入って来て、凛華を見るなり赤銅色の瞳を見開いたままほうっと見入った。
 やはり似合う。彼女の黒髪は手も加えられずそのまま後ろに流されていたが、それがまたどこか神秘的な雰囲気がして言葉をなくしてしまった。
 無類の可愛いもの好きであり綺麗なもの好きであるベルには最高の状況である。因みに凛華は特別美人というわけではないのだが、それなりに整った顔立ちではあった。
「な、何!? わたしどこかおかしい!? や、やっぱり脱ぐ……っ」
 日本人の自分がこんなドレスが似合う筈がないと思っていた。
 そうしてこのベルの反応。感嘆のため息ではなく、呆れ混じりのため息だと受け取った凛華は、似合わないと言われている気分になって、羞恥に頬を染めた。

「とんでもございません! リンカは青がお似合いでいらっしゃいますわ! ものすごくお綺麗です!」
 ベルは必死にドレスを脱ごうとする凛華を止めた。
 説き伏せ、ひとまず落ち着いた彼女の首に銀色の水晶らしきものがついたネックレスをつける。彼女はもう大人しくしていた。裸でいるよりは大分ましだ。そう自分に言い聞かせたらしかった。
(きれー……。高そう。わたしのバイト代なんかじゃ到底買えないんだろうなあ……)
 などと、ごくごく庶民的なことを考えていると。
「お髪、結い上げますか?」
 またしても唐突にベルが訊いた。
 彼女は何かと発言が急だ。
「おぐし? あ、えと、髪のことだよね……。……自分でする」
 彼女に任せると何だか、とんでもない格好をさせられそうなので。
 凛華は自分で髪をまとめることにした。普段は起きて朝食と弁当を作り、洗濯をしてそれから学校へ。朝の時間程のんびりできない時もないので、髪は放ったらかしだった。あまり凝った髪型にもできず、結局は鞄の中に入っていた細い茶色のゴムとピンだけで髪をまとめる。女子高生が読む類の雑誌で凝った髪型を研究していた友達はいたけれど、凛華はそれほど器用ではないので、ゆるくねじった髪を留めることくらいしかできない。
 あまりに素朴なまとめ方に見かねたのかどうかは分からないが、ベルが凛華のまとめた髪に髪飾りを挿してくれた。
 そうしながら、彼女は何気ない風に尋ねる。

「リンカ、少しお化粧なさいます?」
 ベルが髪飾りの位置を整えるため後ろにいるから、その顔は凛華には見えなかったけれど、多分、と凛華は思った。
 多分、ものすごく楽しそうな顔をしているに違いない。
 声がわくわくしているのだ。
 ここで自分がすると頷けば嬉々として化粧に取りかかるに違いない。
「ししし、しません!! お化粧したことないし!」
 凛華は必死に拒否した。
 このドレスだけでも恥ずかしいのに、この上したこともない化粧をするなど、とんでもない。きっと、子供が無理に背伸びをしているように見えてしまうだろう。
 精一杯の拒否を受けてベルは残念そうに眉をひそめたが、一女官が主に無理強いをするわけにはいかない。
 「今度は頑張りますわ」と心の中で盛大に意気込んで、彼女は既に用意していた化粧道具の入っていた箱をそっと凛華の視界から隠した。この侍女、なかなかのやり手である。


「では、行きましょうか」

 複雑そうな造りの髪留めやらを全て片付けたベルが座ったままの凛華に手を差し伸べてにこりと笑った。
 とても、柔らかな笑顔だった。
「い、行くって……どこに?」
 あまりにさらりと言われたその言葉に凛華が驚く。
 だが目の前の侍女は彼女の驚きを知りながらも特に気にした風でもない。それどころか更に彼女を驚かせる台詞を口にした。

「大広間の方ですよ。城内の皆様がリンカを一目ご覧になるためにと集まっておいでですわ。と言っても、わたしどものような下働きはさすがにおりませんけれども。爵位を持った方々のほとんどはいらっしゃるのではないでしょうか」

 そこで一旦間をおいて、ベルは付け加えた。
「わたしの兄もそこにいます。兄は騎士の位を頂いておりますので……。わたしは陛下から言伝を頂きまして、こうしてリンカをドレスアップさせて頂いたのですわ。陛下は『あの服のままでもいい』と仰ってましたが……」
 つまり。
 国王陛下は今まで着ていた──ちょっと草やら土やらが付着している気がする──制服でもいいと。けれど、ベルの趣味でこんなとんでもない格好にされたと。
 ……言葉にならない。
 それに今彼女は言った。
 大広間? 城内の皆さん?
 城門をあの馬車に乗ったままくぐった時に呆然と見つめた大きな城。……皆さん。一体この城にいま何人の人がいるのだろう。

「い、行きたくない……って言ったら?」

 出来れば笑って「行かなくても結構でございますよ」と答えてくれることを期待した。
 だが彼女と知り合って少ししか経っていないがだんだんと分かってきたのだ。きっと彼女は。期待をあっさりと打ち崩してくれる。
「え? リンカ行かれないのですか?」
 赤銅色の瞳を潤ませて言われる。
 凛華の予想は大正解だった。こんな予想当たって欲しくないと心の中で文句を言ってみたが無駄なようである。

「行きます……」

 そう言った瞬間に彼女の顔が晴れ晴れしくなった。再び騙されたかもしれないと頭の隅で考えるが、その考えを再び追い出した。疑ってはいけない。笑顔なのだから。
 やはり甘い、凛華。
 してやったりと微笑むベルに気付かないところがまた凛華らしい。
(うーわー可愛い……。うーん、ベルの彼氏になれる人は羨ましいな……)
 そんな的はずれなことを考えつつ、笑顔にころりと騙されて、凛華はベルと一緒に部屋を後にした。
 どうやら騙されやすいタイプのようである。人の笑顔が好きな彼女だが、人を笑わせるためなら何でもしそうな、そんなとんでもない性格をしていそうだった。
 良心の呵責かしゃくを笑顔で隠し、ベルはお人好しな主に微笑んだ。